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広島地方裁判所呉支部 昭和51年(ワ)47号 判決 1983年9月16日

当事者目録

一原告(本判決中では、本目録中の原告らに符した番号を用いて、

各原告を「原告1」、「原告2」、……と略称することがある。)

1 広島県呉市広町一二四五の二

大岡峰男

2 同所

大岡敏子

3 同市仁方宮上町九―二八

桑原貴

4 同所

桑原悦子

5 同市広町大新開日立東アパート四三四八五

稲吉堅

6 同所

稲吉和音

7 同市仁方西神町三〇〇二

永井茂男

8 同所

永井佳枝

9 同所

永井一嘉

10 同所

永井輝方

右二名法定代理人親権者 父

永井茂男

同 母

永井佳枝

11 同市広町西横路二四八八

坂本マサミ

右法定代理人親権者 父

坂本正雄

同 母

坂本美百合

12 同所

坂本正雄

13 同所

坂本美百合

14 同市郷原町二五三六

丸岡良知

右法定代理人親権者 父

丸岡睦男

同 母

丸岡万里子

15 同所

丸岡万里子

16 同市広町長浜一六五二〇―二

石田賢一

右法定代理人親権者 父

石田研吉

同 母

石田愛子

17 同所

石田研吉

18 同所

石田愛子

19 同市広町塩焼五四班二

鈴木ハルヨ

20 同所

鈴木敬三

21 同市広町七三八五―七二九

白岩一徳

右法定代理人親権者 父

白岩徳久

同 母

白岩陽子

22 同所

白岩陽子

23 広島県賀茂郡黒瀬町切田三〇五―一八五

吉沢正美

右法定代理人親権者 父

吉沢幸夫

同 母

吉沢ユリ子

24 同所

吉沢幸夫

25 呉市仁方棧橋通二〇―一一

岡下聖文

右法定代理人親権者 父

岡下文隆

同 母

岡下八重子

26 広島県豊田郡安浦町大字安登字市迫一〇一―四

西浦覚

右法定代理人親権者 父

西浦政夫

同 母

西浦鈴江

27 呉市広町塩焼七三八五

楠見力

右法定代理人親権者 父

楠見清登

同 母

楠見幸子

28 広島県安芸郡熊野町下深原一三四〇四の二八

広瀬美哉

右法定代理人親権者 父

広瀬千幸

同 母

広瀬和示

29 同所

広瀬和示

30 賀茂郡黒瀬町楢原トラック団地三四

村上由美

右法定代理人親権者 父

村上哲治

同 母

村上みどり

31 呉市広町北古新開九―B

沖本美由紀

右法定代理人親権者 父

沖本正敏

同 母

沖本百合江

32 同所

沖本百合江

33 同市広町古新開一の四九

實成直美

34 同所

實成雅樹

右二名法定代理人親権者 父

實成欣次

同 母

實成朋子

35 同所

實成朋子

36 賀茂郡黒瀬町乃美尾五九六

岡安敬一

右法定代理人親権者 父

岡安好男

同 母

岡安千寿子

37 同所

岡安好男

38 同所

岡安千寿子

39 呉市広町名田三班

古屋健治

40 同所

古屋剛設

右二名法定代理人親権者 父

古屋日出行

同 母

古屋ミヨ子

41 同所

古屋ミヨ子

42 同市広町大広三七一二

(旧姓 田村)

胡美香

右法定代理人親権者 父

(旧姓 田村)

胡政敏

同 母

(旧姓 田村)

胡初美

43 同所

(旧姓 田村)

胡初美

44 同市広町弥生新開一二五三

木曽昭彦

右法定代理人親権者 父

木曽義範

同 母

木曽孝子

45 同所

木曽孝子

46 広島県竹原市忠海町四一四五―五

木曽シズエ

47 茨城県北相馬郡守谷町大字守谷甲一八六〇

矢部知史

48 同所

矢部睦美

右二名法定代理人親権者 父

矢部弘

同 母

矢部文子

49 同所

矢部文子

50 呉市広町九八五九―一

山下シズエ

51 安芸郡蒲刈町田戸七六五―二

中下亜紀子

52 同所

中下瑞穂

右二名法定代理人親権者 父

中下浩司

同 母

中下紀子

53 呉市広町両谷一三班

山口晃弘

右法定代理人親権者 父

山口秀樹

同 母

山口栄子

54 同所

山口栄子

55 呉市広町大新開一一五〇六

曽我部千鶴

右法定代理人親権者 父

曽我部尚

同 母

曽我部喜代子

56 安芸郡下蒲刈町下島三五八四

菅原真剛

右法定代理人親権者 父

菅原直登

同 母

菅原ひさな

57 同所

菅原直登

58 同所

菅原ひさな

右原告ら訴訟代理人

原田香留夫

高村是懿

山田慶昭

大国和江

恵木尚

井上正信

中尾正士

臼田耕造

増田義憲

二國則昭

二 被告

1 呉市広町一〇七二八

武田栄文

右訴訟代理人

秋山光明

新谷昭治

2 呉市西中央四丁目一番六号

呉市

右代表者市長

佐々木有

右訴訟代理人

鍵尾豪雄

3 東京都千代田区霞が関一丁目一番一号

右代表者

秦野章

右訴訟代理人

河原和郎

右指定代理人

一志泰滋

外三名

主文

一  被告武田栄文は、原告1ないし6に対して各金一一〇〇万円、原告7及び8に対して各金三三〇万円、原告11及び14に対して各金三三〇〇万円、原告31、36及び44に対して各金五五万円、原告47及び51に対して各金三三万円、原告16、23、25、26、27、28、30、33、39、42、53、55及び56に対して各金二二万円とこれらに対する昭和五一年三月一四日から各支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  前項の原告らの被告武田栄文に対するその余の各請求及びその余の原告らの同被告に対する各請求並びに原告らの被告呉市及び同国に対する各請求はいずれも棄却する。

三  訴訟費用については、被告呉市及び同国に生じた分はいずれも原告らの負担とし、被告武田栄文に生じた分は同被告の自弁とし、原告らに生じた分の内、訴状に貼用すべき印紙額(訴訟上の救助が付与されている。)中、七二万一九〇〇円を被告武田栄文の、これを超える部分を原告らのそれぞれ負担とし、その余は、これを四分して、その一を原告らの自弁とし、その三を被告武田栄文の負担とする。

四  この判決は、第一項中の原告らの各認容額の二分の一の部分に限り、これを仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1  被告らは各自、原告1ないし7に対し各金二七五〇万円、原告8に対し金二九七〇万円、原告11及び14に対し各金五五〇〇万円、原告16、21、23、25、26、27、28、30、31、33、36、39、42、44、47、51、53、55、56に対し各金四四〇万円、その余の原告らに対し各金二二〇万円とこれらに対する本訴状送達の日の翌日(被告武田及び同国については昭和五一年三月一四日、同呉市については同月一三日)から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  敗訴の場合、担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1被告武田は、昭和四九年ないし同五〇年当時、広島県呉市広町大新開において、「武田産婦人科医院」という名称で産婦人科の個人病院(以下「被告医院」という。)を開設していた医師である。

2原告1と2との間の子である亡大岡由倫、同3と4との間の子である亡桑原成行、同5と6との間の子である亡稲吉塁、同7と8との間の子である亡永井千差子、及び原告11、14、16、21、23、25、26、27、28、30、31、33、36、39、42、44、47、51、53、55、56はいずれも、昭和四九年一二月二八日から同五〇年二月九日までの間に被告医院において出生した者であり(これらの者を以下「本件新生児」ということがある。)、その母親(産婦)、母親が分娩のため被告医院に入院した日、出生日、母子が被告医院を退院した日は別表のとおりである。

3(事故の発生)

(一) 本件新生児はいずれも、右の被告医院入院期間中に、院内(主として新生児室内)における感染により、サルモネラ菌(以下「サ菌」と略す。)を保菌するに至り、サルモネラ感染症(以下「サ感染症」と略す。)に罹患した。

そしてその結果、大岡由倫は昭和五〇年一月二五日、稲吉塁は同年二月一日いずれもサ感染症に基因する化膿性髄膜炎により、桑原成行は同年一月三一日サ感染症に基因する脳膜炎症及び脳性小児麻痺により、永井千差子は同年三月二九日サ感染症に基因する横隔膜ヘルニア嵌頓によりそれぞれ死亡し(右四名を以下「第一グループ」ということがある。)、原告11及び14(右二名を以下「第二グループ」ということがある。)はいずれもサ感染症に基因する化膿性髄膜炎ないしは脳性小児麻痺により重度の心身障害児となり、その余の本件新生児(以下「第三グループ」ということがある。)はいずれも、サ感染症により急性胃腸炎を患い、下痢、嘔吐、発熱等の消化器症状を来たした。

(二) 原告8ないし58の内本件新生児を除くその余の原告ら(以下「第四グループ」ということがある。)はいずれも、本件新生児の母親(産婦)ないしは本件新生児退院後これと一定期間生活を共にしたことのある父親、兄弟その他の親族であって、本件新生児の入院時あるいはその退院後間もなくの頃、本件新生児からの感染によりサ菌を保菌するに至り、サ感染症の症状は顕現しなかつたもののサ菌を長期間保菌した。

4(右事故発生についての被告武田の医師としての注意義務違反<過失>と不法行為責任)

(一) 新生児はほぼ無菌状態で生まれてくるため病原細菌が感染し易いし、産院の新生児室は、適温が維持されていて細菌が繁殖し易く、右のような新生児を狭い部屋に多数収容しているから、細菌の集中(集団)感染が起こり易い。そして、新生児は、細菌に対する抵抗力が殆んど無いことから、健康成人では問題とならない細菌によつても重大な(時には致命的な)感染症に至ることも多い(サ菌についても以上のことがいえる。)。

従つて、産院を開設していた医師である被告武田は、被告医院内(特に新生児の周辺)の清潔を保持するなどしてそもそも新生児に細菌が感染するのを防止し、また、新生児を充分に観察するなどして、感染症の発生を早期に発見し、適切な処置をとることによつて、細菌感染の拡大及び感染症の重度化を防止すべき注意義務があつたというべきところ、同被告は右義務に違反して前記3の結果をもたらしたものであり、過失による不法行為責任(民法七〇九条)を免れない。

具体的な注意義務違反は次のとおりである。

(二) (そもそも細菌が感染するのを防止すべき義務の違反)

(1) 妊婦(産婦)が細菌を保菌していると、出産時新生児に産道感染する危険が高いから、出産前及び出産時に妊婦の検便をして細菌を検索し、発見された場合にはこれに応じた適切な処置(例えば、当該新生児の早期治療、他の新生児からの隔離等)をとることによつて、少なくとも当該新生児の重症化の阻止及び他の新生児への感染の防止をすべき義務があるのに、被告医院では妊婦の検便を全く行つていなかつた(なお、本件の初発例は右のような産道感染と推定される。)。

(2) 医師及び看護婦ら医院の職員が細菌感染の源となつたり経路の一端を担う危険が高いから、その健康状態を充分に把握すべく、定期的な健康診断をすべき(検便も月一回程度行うべき)ところ、被告医院では右の健康診断は年一回のみで、検便は全く行つていなかつた(なお、被告医院では、本件院内感染発生当時、全従業員一二名中六名もの者がサ菌を保菌していた。)。

(3) (院内の清潔保持について)

サ菌の感染は経口によるものであり、本件も経口感染であるが、このように一般に細菌が経口感染する場合も多いことを考えると、被告武田は、本件新生児らの口に細菌が付着しあるいは侵入することのないよう、院内特に新生児周辺の清潔を充分に保つべきであつた(そして、院内の清潔を保持することによつて経口感染は充分に防止し得るのである。)。具体的には以下のとおりである。

(ア) 調乳室と、細菌汚染の可能性の高い沐浴室及び新生児室とはそれぞれ隔室にすべきところ、調乳台が沐浴槽に隣接して設置されていた(少なくとも独立の調乳室はなかった。)。

(イ) 医師及び看護婦以外の者の新生児室等(調乳室、沐浴室を含む。)への立入を禁止するとともに、新生児に接する医師及び看護婦の手指の消毒を徹底し、これらの者が右の各室間を移動する場合にはガウン、マスク等を交換させるべきところ、いずれも守られていなかつた(新生児室及び沐浴室には手洗いが設けられていなかつた。)。

(ウ) おむつ等の汚物を新生児室、沐浴室から迅速に排除し、新生児のベッドシーツ、衣服、おむつの消毒を徹底すべきところ、いずれも守られていなかつた(新生児室及び沐浴室にポリ容器のおむつ入れがあり、汚れたおむつが入れられ、これが二、三日放置されあふれるような状態の時もあつた。)。

(エ) 調、授乳には特に細心の注意をし、調乳後速やかに授乳し、授乳具を未消毒のまま他の新生児に使用するようなことがあつてはならないところ、これらが守られず、消毒が徹底していなかつたし、飲み残しのミルクをストーブで温めこれを他の新生児へそのまま授乳するようなこともあつた。

(オ) 沐浴槽の湯は新生児毎に交換し消毒を徹底すべきところ、これも守られていなかつた。

(カ) 新生児室における新生児の過密な収容を避けるべきところ、床面積約11.5平方メートルの中に一〇人を収容していた。

(4) 右(3)のように清潔を保持するために、新生児の看護については、熟練看護婦によるゆとりある看護が必要なところ、新生児室の担当に看護婦資格の無い看護助手があてられていたし、看護婦の勤務体制が過密であつた(特に、本件の院内感染が始まつた昭和五〇年一月初め頃は、正月休みの時期で、看護婦は一名ないし二名しか出勤していなかつた。)。

(三) (感染症の発生を早期に発見し適切な処置をとるべき義務の違反)

(1) 本件の院内感染が始まつたのは昭和五〇年一月初め頃であるが、同月初旬、在院中の新生児(原告11、16、21、23、25、26、27、28、31ら)に、軟便、下痢、緑色便、母乳を飲まない、哺乳力が弱い、吐乳、泣き方が弱い、退院時の体重が生下時よりかなり下回るなどの異常があつた(いずれも複数の新生児に顕れていた。)のであるから、被告武田としては、その時期に(遅くとも一月一〇日頃までに)、右のような異常を的確に把握し、何らかの感染症の発生を疑つて、入退院の全面的停止をするとともに、在院中及び退院直後の新生児の経過観察と検便を行い、その結果サ菌陽性者を発見隔離し抗生物質を投与することによつて、一月一〇日以降出生の本件新生児へのサ菌の感染を防止し、既に感染していた本件新生児についても症状を緩和し、重篤化を防ぐべきであつた。

ところが、被告武田はそもそも右のような異常を察知しなかつた。この点における同被告の具体的な注意義務違反は次のとおりである。

(2) 親生児の異常の発見は総合的な判断によることが必要で、そのためには新生児室に熟練した看護婦を配置すべきところ、被告医院では、正規の看護婦資格の無いいわゆる看護助手が新生児室の担当をしていた。

(3) 右のような総合的判断の必要からして、新生児の観察項目はできる限り多くして(体重、体温、脈拍数、黄だんの程度、便の状態及び回数、排尿回数、栄養状態、嘔吐等)、しかも日々の観察が必要であるのに、被告医院では、基本的には体温及び体重についてしか観察、記録していなかつたのであり、他の点は特に異常がある時だけ記録する程度であつた。観察、記録も不正確であつた。

(4) 新生児の母親からの異常の訴え等については、これを素直に受けとめ、異常発見の一助とすべきところ、本件新生児の母親らが看護婦等に対して前記(1)のような異常を種々訴えたのに、乳の飲ませ方が悪いなどと決めつけて、何ら適切な対応をしなかつた。

(5) 分娩経過について観察記録を作り、これを新生児の観察にあたつて資料とすべき(例えば、羊水が混濁している場合は何らかの感染症を疑うべきであるし、破水から分娩終了時までの時間が長い場合にも産道感染を疑うべきである。)ところ、被告医院においては分娩経過についての観察記録はなく、従つてまたこれを資料とすることもなかつた。

(四) (院内感染了知後、適切な処置をとるべき義務の違反)

(1) 被告武田は、昭和五〇年一月三〇日午前一〇時頃、国立呉病院の荒光医師(同医師は、当時、被告医院で出生した新生児を二、三診断していた。)から、被告医院においてサ菌の院内感染が発生している旨の通報を受けたのであるから、その時点で、次のような処置をとつて、新たな感染を防止し、また感染症の悪化を防止すべきであつた。

在院中の新生児及び母親の退院並びに新規の入院及び外来を停止する。在院中及び退院後間もない新生児及び母親について、検便等の細菌学的検査を行い、サ菌陽性者を発見してこれを隔離する。そして、陽性者については、症状の有無等充分な観察をし、抗生物質を投与するなど適切な治療をする。

(2) ところが、被告武田は、次のとおり右のような処置をとらず、その結果感染を拡大しあるいは感染症を悪化させた。

哺乳力が弱い、下痢、生下時の体重に復帰しないなどの異常があつた稲吉塁、原告47、51、53を、「異常なし」として、経過観察及び検便を行うことなく退院させた(原告53は二月一日、その余は一月三〇日午後。なお、稲吉は退院直後の二月一日死亡したのである。)。

桑原成行が、一月三〇日早朝から火が付いたように、泣き続け、午前九時頃には容態が悪化したのに、そのまま放置し、午後二時頃やつと呉共済病院へ搬送したが、その際にも同病院に対して本件院内感染の事実を告げなかつた。

容態が悪化したとして一月三一日来院した原告51を、婦長を同行させて呉共済病院へ行かせたものの、同病院に対して本件院内感染の事実を告げなかつた。

二月九日、曽我部喜代子を入院させ、原告55を出産させた。

原告らに対し、本件院内感染発生の事実を伝えず、事後の適切な措置(家族への感染を防止するための措置など)を指示しなかつた。

5(損害)

(一) 第三及び第四グループについてみるに、次のとおり身体上、生活上及び社会生活上の各被害を受けた。

<身体上の被害>第三グループは、軽重の差はあれ、前記のとおり下痢、嘔吐、発熱等の消化器症状があり、哺乳力の低下等があつて生下時体重に復帰するのが遅れるなどした。両グループともサ菌を長期間保菌した。

<生活上の被害>第三グループの新生児を抱えて、その母親及び家族は、哺乳や下痢の処置などに困難を強いられ、その育児及び看病に大きな苦労があつた(原告31、36、44、47、51は入院治療を受け、その余の第三グループの新生児も全員通院治療を受けざるを得なかつた。)。第四グループの中にも除菌のため通院した者がいる。また、両グループの家庭では、感染を心配し、その防止のために、食器、流し台等の家具から衣類に至るまで徹底した消毒をせざるを得ず、その費用もさることながら、精神的負担も大きかつた。母親が保菌している場合、妊娠をひかえあるいは中絶するという例もあつた。

<社会生活上の被害>本件のサ感染症の報道により、「うつる」ということで、親せきや近所との付き合い、学校や職場での付き合い等に支障をきたし、あるいは商売にも影響があつた。

以上のような被害を、総体として包括的に評価すべく、その損害を金銭に見積もれば、第三グループにつき各四〇〇万円、第四グループにつき各二〇〇万円が相当である。

(二) 第二グループについて

原告14は、重症心身障害児として入院看護を受けているが、首がすわらず、足も立たず、目も見えず、言葉も言えず、体の移動もできず、感情を表わすこともできず、ただ生きているだけの植物人間となつており、その回復の見込みもない。

原告11は、脳性小児麻痺の後遺症として、運動機能は一才程度で意識反応は全くない重度の心身障害児となつており、通院して機能回復訓練を受けているが、回復の見込みはない。

これらの損害を金銭に見積もれば、各五〇〇〇万円が相当である。

(三) 第一グループは出生後間もなく死亡したのであり、その損害は各五〇〇〇万円と評価するのが相当である。なお、相続により原告1ないし8が各二五〇〇万円の損害賠償請求権を取得した。

(四) 原告らはいずれも本訴の提起及び追行を原告ら訴訟代理人弁護士に委任したが、右の弁護士費用損害金として、右(一)ないし(三)による各損害金の一割が相当である。

6(診療契約の締結)

別表の「母親(産婦)」欄記載の者はいずれも、被告武田との間で、「入院日」欄記載の頃、「新生児」欄記載の各新生児の出生を停止条件として、各新生児のために、同被告が、新生児の健康が安定するに至るまでの生理的機能の経過に応じて、対処的加療の必要性の有無を観察し、必要な場合にはその適切な対処的療法を選択しこれを施術する、旨の契約を締結した。

原告8、13、15、18、22、29、32、35、38、41、43、45、49、54、58はいずれも、昭和四九年頃、被告武田との間で、同被告が、分娩に達するまでの妊婦及び胎児の、分娩後は産婦の健康が安定するに至るまでの生理的機能の経過に応じて、対処的加療の必要性の有無を観察し、必要な場合にはその適切な対処的療法を選択しこれを施術する、旨の契約を締結した。

7(被告武田の債務不履行責任)

本件新生児及び右6の後段の各原告との関係では、前記4の被告武田の注意義務違反は、同被告の右6の診療契約に基づく債務の不履行(不完全履行)ともなる。

8(被告呉市の責任)

(一) 被告呉市は保健所法一条等により呉市東保健所及び同西保健所(以下両保健所を含めて「呉市保健所」という。)を設置しており、呉市保健所は、衛生思想の普及及び向上に関する事項、母性及び乳幼児並びに老人の衛生に関する事項、結核、性病、伝染病その他の疾病の予防に関する事項等につき、指導及びこれに必要な事業を行うべき職責を有している(同法二条)。

また、呉市長は、必要があると認めるときは、病院、診療所等の開設者もしくは管理者に対し、必要な報告を命じ、又は当該吏員に、病院、診療所等に立ち入り、その清潔保持の状況、構造設備もしくは診療録等を検査させることができる(医療法二五条一項)。

(二) ところで、前記4(一)前段に述べたとおり、産院の新生児室においては細菌感染(しかも集団感染)が発生し易く、かつ新生児は細菌感染によつて重大な感染症に至ることも多いのであるから、右のような権限又は責務を有する呉市長(ないしは呉市保健所)としては、その管轄区域内の被告医院について、その新生児室における衛生管理につき立入検査をし、また院内感染の危険性と予防対策に関する知識を知らしめるなど、院内感染防止のために必要かつ適切な指導等の措置を講ずべきであつた。

特に、サ菌については、当時、専門家の間ではその感染症の重大性等につき認識されていたし、昭和四八年五月には国立大阪病院で新生児室における集団感染が発生していたが、一般の医療従事者は必ずしもよく認識していなかつたのであるから、右義務が強調されてしかるべきである。なお、昭和四九年三月には、厚生省が、院内感染防止のために、特に、産院の新生児室等の衛生管理の状況について検査指導するよう、知事宛に通達していたぐらいである。

ところが、呉市長(ないし呉市保健所)は、本件に至るまで、被告医院について前記立入検査等必要かつ適切な指導等の措置を講じなかつた。右違法行為のため、前記のような被告武田の義務違反行為が放置され、その結果前記3の事態が発生したものである。

(三) 呉市長(なしい呉市保健所)は、昭和五〇年二月四日、前記荒光医師からの連絡で、被告医院においてサ菌の院内感染が発生していることを知つたのであるから、感染の拡大を防止するため、少なくとも、直ちに、被告医院における新規入院を停止させ、また、その前後に被告医院で出生した新生児の家庭に対して、手指の消毒等家族への感染を防止するための適切な手段をとるよう指導するなどの措置を講ずべきであつたのに、これをせず、右違法行為の結果、原告55を新たにサ感染症に罹患させ、また第四グループにも感染を拡大させた。

(四) いずれにしても、被告呉市は国家賠償法一条一項による責任を免れない。

9(被告国の責任)

(一) 被告国(以下「国」と略す。)は厚生省を設置しており、同省(厚生大臣)は、保健所を設置している市に対し保健所の設置及び運営に関し必要な事項を命じ、医療監視員をして病院、診療所に立入検査をさせ、また、養育医療に関する必要な診療方針を定める権限を有している(厚生省設置法五条)し、その本省に設置された公衆衛生局は、保健所の設置及び運営を指導監督し、伝染病その他特殊の疾病について伝播及び発生の防止、予防施設の拡充等予防業務の指導監督を行い、疾病予防の試験、検査及び研究を指導する事務をつかさどる(同法九条)。

(二) サ感染症は、我が国において近時急増の傾向にあり、大人の場合は急性胃腸炎、いわゆる食中毒としての病像を呈することが多いのに比し、新生児の場合は、罹患率が高いうえにその伝染による集団発生(特に産院の新生児室において。)の危険が高く、しかも一旦罹病すると菌が腸内から血液、髄液へ移行することにより死亡率も高い。ところが、右のようなサ感染症の重大かつ危険であること(特に新生児について。)については、本件当時、専門の学会等では議論され認識されていたが、国民はもちろん一般の医療従事者もよく知るところではなかつた。

従つて、(一)のような職責ないし権限を有している国(厚生省)としては、保健所、医療機関及び国民に対してサ感染症について安全適切な措置がとれるよう科学的知識の普及及び宣伝をし、特に、保健所及び医療機関に対してその予防方法を指導し(特に産院にあつては妊婦の検便を義務付ける。)、また医療機関に立入検査をするなど、サ感染症の発生を防止するための必要かつ適切な措置を講ずべきであつた(前記8で述べたとおり、昭和四八年五月には国立大阪病院で新生児室におけるサ感染症の集団発生があつたのであるから、右義務は特に強調されてしかるべきであつた。)。

ところが、国(厚生省)は、何ら右のような措置をとらず、その違法行為によつて結局前記3の事態が発生したものであるから、国家賠償法一条一項の責任を免れない。

(三) 仮に右(二)が理由がないとしても、国は、呉市保健所の経費を負担している(保健所法一〇条)から、被告呉市が負う前記賠償責任に関して国家賠償法三条一項の責任を負う。

10(結論)

よつて、原告らは、被告武田に対しては、不法行為ないし債務不履行(但し、債務不履行については、本件新生児<但し、第一グループについては原告1ないし8が原告である。>及び原告8、13、15、18、22、29、32、35、38、41、43、45、49、54、58のみ)に基づき、被告呉市に対しては、国家賠償法一条一項に基づき、被告国に対しては、主位的に同法一条一項に、予備的に同法三条一項にそれぞれ基づき、いずれに対しても、前記5の各損害金とこれらに対する不法行為ないし違法行為の後である本訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

(被告武田)

1 請求原因1及び2の各事実はいずれも認める。

2 同3のうち、原告主張の四名が死亡したことは認めるが、その死因は不知、原告主張のサ菌感染及びこれによるとの症状も不知。

3 同4について。被告武田に注意義務違反(過失)があつたとする点は、全体として争う。

(一) サ菌に関しては、当時全国的にみても、医学関係者の間でも、その感染経路、感染した場合の症状及び治療方法等についてよく知られていなかつた(特に本件は、その中でもサルモネラ・ハバナ菌という我が国でも初めての菌種であつた。)のであり、この点被告武田の過失を判断するにあたつて充分に考慮されるべきである。

(二) 本件のサ菌感染は、既に保菌していた妊婦から出産時に産道感染したのが初発例であり、これからその余の新生児に空気感染したものである。原告の主張は経口感染を前提にしているが、右のように空気感染とすれば、現実にその感染を防止することは不可能であり、この点も過失の判断にあたつて充分に考慮されるべきである。

(三) 同4(二)の(1)、(2)について。

被告医院において妊婦の検便をしていなかつたことは認めるが、次のとおり、この点をもつて本件結果に因果関係ある過失ということはできない。

仮に検便を行つたにしても、その結果が出るまでに早くても三、四日間を要するところ、出産直前に入院して来るのであるから結果が出るまでに出産によつて産道感染は生じてしまう。そして、現在の保険制度では妊婦の検便は認められていないこともあつて、当時呉市においては右検便は行わないのが通常であつた(なお、当時の呉市医師会の検査センターの能力は一日一〇例位で、全妊婦の検便が廻されたとしたら、その検査は実際上不可能であつた。)。

職員の検便を行つていなかつたことも認めるが、前記のとおり本件の初発例は妊婦からの産道感染であるから、因果関係がなく論ずる余地がない。なお、本件当時職員五名からサ菌が検出された。

(四) 同4(二)の(3)について。

(1) 独立の調乳室がなかつたことは認めるが、調乳台が沐浴槽に隣接して設置されていたことは否認する。新生児室の中に、流し台に接続して調乳台が設置されており、沐浴室は新生児室の隣りにあつて両室間の出入口は木製扉で閉じられていた。

(2) 医師及び看護婦、看護助手以外の者の新生児室及び沐浴室への立入は禁止されていた。看護婦等の手指の消毒が徹底していなかつたとする点は否認する。

(3) 新生児のおむつ等は、沐浴の際には、沐浴室内の二個の容器におむつと肌着を分けて入れ、その他の時には、新生児室内において便付着のおむつとそれ以外を分けて二個の容器に入れ、これらを放置することなく容器ごと持ち出し、洗濯及び消毒をしていた。

(4) 調、授乳について。

調乳及び哺乳の各器具については、乳首とその余を別々にして、新生児室内流し台に置いてあるミルトン薬液入りの二個の消毒容器(角型蓋付きポリ容器)に一時間以上浸して消毒し、右薬液は一日二回位交換していた。

調乳及び哺乳の方法は次のとおりである。沐浴室内の整理台上で電気ポットを使つて熱湯を作り、調乳者は、手指を水で洗いヒビテン消毒をした後、新生児室の調乳台において、前記消毒容器から調乳器を取り出し、これにミルクと湯を入れて攪拌して調乳し、これを哺乳瓶に入れて新生児室内で哺乳する。飲み残しは捨て、これを他の新生児に哺乳するというようなことはなかつた。哺乳後、器具は新生児室内の流し台で水洗いし再び前記消毒容器内に入れていた。

これらの調、哺乳器具の消毒方法、調、哺乳者の手指の消毒方法、調、哺乳の場所のとり方などは、当時の開業産科医としてはごく一般的な方法であつた。

(5) 沐浴槽は、一人使用する毎に、熱湯をかけて消毒し、湯を替え、アルファーケリー(沐浴剤)を混入していた。

(五) 同4(二)の(4)について。

被告医院には看護婦(助産婦の資格も有する)二名、助産婦一名、準看護婦(産科看護の資格を有する)三名、看護助手一名がおり、新生児室の管理は被告武田の指導監督の下に久保婦長が総括し、右の看護婦、準看護婦、看護助手が、新生児の沐浴、調、哺乳等を担当していた。久保婦長は極めて熟練の看護婦であつたし、看護婦等の勤務体制も特に忙しいものではなく、新生児の看護体制は一般に比して遜色なかつた。

(六) 同4(三)について。

(1) 原告が同4(三)の(1)で主張するような異常があつたことは否認する。従つてまた、原告が主張する過失は争う。なお、原告が異常があつたと主張している新生児の母親らは、本件で国立呉病院において治療を受ける際、被告医院入院期間中の症状につき「不詳」と答えていたものである。

(2) 新生児の看護体制は前記のとおりである。被告医院で新生児につき体温及び体重しか観察していなかつたとする点は否認する。

被告医院においては、久保婦長をはじめとする看護婦が新生児を日々観察し、異常な症状があればこれを記録していたし、被告武田も朝夕の定期回診で観察を続けていた。異常がある場合のみ記録するという方式は、ごく一般的であつた。

(七) 同4(四)について。

(1) 昭和五〇年一月三〇日昼前、国立呉病院の荒光医師から被告武田に対して電話で、「被告医院に入院していた新生児のうち大岡からサ菌が検出された。院内感染の疑いはないか。」との連絡があつたことは認めるが、その後の同被告の処置に過失があるとする点は争う。

新規入院の停止、退院後間もない新生児らの異常の有無の問い合わせ、在院中の新生児及び母親の健康診断(検便を含む。)及び抗生物質の投与、院内の徹底的な消毒等、最善の手段を尽くした。

(2) 稲吉塁、原告47、51、53を原告主張の各日時に退院させたことは認めるが、いずれも診察の結果異常がなかつたからである。

桑原成行の経過は次のとおりである。一月三〇日、午前七時発熱(38.5度)のため抗生物質、下熱剤を投与し、酸素吸入、午前八時37.4度に回復するも、酸素吸入をやめるとチアノーゼ、そこで父親に連絡をとるもとれず、様子をみる、午前一〇時半には、ミルクを飲み嘔吐もなく、体温も三七度、正午頃、泣くとチアノーゼを呈するので大事をとつて呉共済病院へ。放置していたとする点は否認する。

原告51を、一月三一日婦長同行のうえ呉共済病院へ紹介入院させたことは認める。

二月九日、曽我部喜代子を入院させ、原告55を出産させたことは認める。当日は日曜日でもあり、同女は陣痛がひどく、他院へ送ることは不可能であつた(なお、院内消毒も充分に行つたし、職員に保菌者もいなかつたので、二月一〇日に開院を予定していた。)。

原告らに対しては、食中毒である旨説明をし、二月一二日及び一三日には、退院者に新生児等の様子を電話で問い合わせ(異常なきことを確認した。)、異常があれば来院するよう指示し、更に国立呉病院及び呉共済病院にも本件新生児名を知らせて善処方を依頼するなどの対策を講じた。

4 同5について。

(一) 第四グループのうち本件の産婦を除くその余の者のサ菌感染については、被告武田の行為との間に相当因果関係がない。

第三及び第四グループについての原告の被害主張は過大に過ぎ、本件と相当因果関係のある損害とみることはできない。今日では、都市下水は一〇〇パーセントサ菌に汚染され、日本人の保菌率は0.5ないし0.8パーセントに達しており、我々は知らない間に保菌し無症状で終わるという場合も決して少なくないのであつて、身辺に保菌者がいても全く気付かずにいるというのが現状であるから、これらの事情が参考にされるべきである。

(二) 桑原成行及び永井千差子の死亡とサ感染症の間には因果関係がない。

特に、永井については、仮にサ感染症が横隔膜ヘルニアの嵌頓の引き金になつたとしても、同児はサ感染症がなくても必然的に右ヘルニアの嵌頓の危険があつたもので、右ヘルニアこそ死因というべきである。少なくとも、サ感染症の死に対する寄与率は極めて低い。

(三) 原告11及び14の現在の症状とサ感染症との間には因果関係がない。

5 同6の事実は認めるが、同7の債務不履行を主張する点は争う。

(被告呉市)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2のうち、本件新生児がいずれも被告病院において出生したこと及び大岡由倫、桑原成行、稲吉塁、永井千差子と原告1ないし8との身分関係は認める。

3 同3のうち、本件新生児がいずれもサ感染症に罹患し、第四グループの者がいずれもサ菌を保菌していたこと及び原告主張の四名が死亡したことは認めるが、四名の死亡原因及び原告主張の各症状については争う。

4 同4については不知。なお、本件については、その感染源、感染経路とも解明されていない。呉市保健所は被告医院開設に際し立入検査をしたが、その時には調乳台の位置などに不適合な点はなかつた。

5 同5は争う。

6 同8について。

(一) (一)の事実は認める。

(二) (二)のうち、被告医院が呉市保健所の管轄区域内にあること及び呉市長(ないし呉市保健所)が被告医院について本件当時まで立入検査をしていなかつたことは認めるが、その余については争う。なお、呉市長(ないし呉市保健所)が、原告主張のような厚生省の通達に基づいて広島県から通知を受けたのは、昭和四九年一二月三日のことである。

(三) (三)は争う。なお、呉市長(ないし呉市保健所)が本件について初めて知つたのは、昭和五〇年二月一七日、前記荒光医師から「被告医院の出生児六名からサ菌が検出された。」皆の連絡を受けた時である。

7 被告呉市は、次のような理由からも、本件について国家賠償法上の責任は負わない。

(一) 市長ないし保健所の行う衛生行政作用は、相手方の承諾を前提とした非権力的作用であつて(例えば、指導をしても、相手方はこれに服する義務はない。)、「公権力の行使」とはいえない。また、原告の主張する立入検査等は、市長が必要を認めるとき行うことになつており、裁量事項に属する。

(二) 市長ないし保健所が衛生行政作用を行う義務は、国に対する義務であつて、一般住民に対して負う義務ではない(一般住民はその反射的利益を受けるにとどまる。)。

(三) 本件当時は、呉市長及び呉市保健所において本件のようなサ菌による感染症の発生を予見することは不可能であつた。

(四) 呉市長ないし呉市保健所は、前記の昭和五〇年二月一七日以降、被告医院に対する医療監視及び関係者の健康調査、検便等を実施し、また、サ菌感染防止に関する知識普及をするなど、最善の努力を尽くした。なお、被告医院における入、退院の停止措置をとる得るのは広島県知事である。

(被告国)

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2についての認否は被告呉市と同じ。

3 同3のうち、桑原成行を除くその余の本件新生児がいずれもサ感染症に罹患し、第四グループの者がいずれもサ菌を保菌していたこと及び原告主張の四名が死亡したことは認めるが、永井千差子の死亡がサ感染症によることは争い、その余の三名の死因及び第二、三グループの者の各症状は不知。

4 同5の事実は不知。

5 同8(一)の事実は認める。

6 同8の(二)、(三)のうち、呉市が、被告医院開設の際その検査をしただけで、以後本件に至るまで検査をしなかつたことは認めるが、被告呉市に本件について賠償責任があるとする点は争う。なお、同被告に賠償責任がないことについては、同被告の主張を援用する。

7 同9(一)の事実は認める。

8 同9(二)について。

サ菌による患者の発生が急増していることは不知(但し、サ菌保菌者が増加の傾向にあるとの意見があることは認める。)。現にサ菌による新生児の罹患率が高いことも不知。サ菌が新生児に感染した場合、成人に比して重篤になり易いことは認めるが、現に死亡率が高いことは不知。

国に違法行為があるとする点は争う。

9 同9(三)のうち、国が呉市保健所の経費を負担していることは認めるが、被告呉市が賠償責任を負つていることは前記のとおり争う。

10 国は、次のような理由からも、本件について国家賠償法上の責任は負わない。

原告は国に対して不作為の違法を理由として国家賠償責任を問うていることが明らかであるが、国にはその前提たる作為義務がない。即ち、そもそも原告の主張している「必要な指導」等はいずれも、当該公務員の行政権限であつて、その行使を義務付けた規定はないから、法律上の作為義務ということはできないし、仮にその行使が義務付けられているとしても、その義務を負う相手方は国又は国民全体であつて個々の国民ではない(個々の国民は反射的利益を受けるにすぎない。)。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実並びに同2のうち、亡大岡由倫が原告1と2との間の、亡桑原成行が同3と4との間の、亡稲吉塁が同5と6との間の、亡永井千差子が同7と8との間のそれぞれ子であること及び本件新生児(右の亡四名と原告11、14、16、21、23、25、26、27、28、30、31、33、36、39、42、44、47、51、55、56の計二五名)がいずれも被告医院において出生したことはいずれも全当事者間に争いがなく、請求原因2のうちその余の事実については、被告武田との間では争いがなく、同呉市及び同国はいずれも、これを明らかに争わないから、自白したものとみなす。

二サルモネラ感染症の発生(本件新生児について)

<ここで、用語について触れておく。一般に、微生物が生体内に侵入し、宿主体内において増殖する場合を「感染」が成立したといい、「感染」を経て臨床症状が宿主に発来する場合を「発症」、発症した病気を「感染症」という。また、発症した場合を「顕性感染」ともいい、これに対して、感染を経過しても、宿主体内における微生物の増殖が軽度にとどまり、臨床症状を著明に示すことなく経過する場合を「無症状感染」又は「不顕性感染」という。――以上は「南山堂医学大辞典」による。>

1<証拠>によれば、サルモネラ菌(以下「サ菌」と略すことがある。)は、腸内細菌科に属する一群の菌種であり、多数の菌型があつて、通常その型が初めて分離された土地の固有名を付して呼ばれているが、これによる感染症は、腹痛、下痢、発熱、悪心、嘔吐等の急性胃腸炎型の症状ばかりでなく、特に乳幼児にあつては、赤痢型、疫痢型、チフス型等のさまざまな病像を呈すると認められる(なお、サ菌及びこれによる感染症<以下、「サ感染症」と略すことがある。>の詳しい検討は以下折にふれてする。)ところ、<証拠>を総合すれば、桑原成行を除く本件新生児についてはいずれも、前記の各出生後遅くとも昭和五〇年三月末頃までに実施された検便等の検査の結果、サルモネラ・ハバナ菌(以下「サ・ハ菌」と略すことがある。)が検出されたことが認められる。

2ところで、<証拠>によれば、被告医院における分娩数は、昭和四九年一二月が三〇名、同五〇年一月が二八名、同年二月が二三名である(本件新生児がいずれもこれらの中に含まれることは前記一から明らかである。)ところ、これらについて同五〇年五月初め頃までに実施された検便等の検査の結果、一二月分二名、一月分二六名、二月分一名からそれぞれサ・ハ菌が検出され(この検出分の検査は三月末頃までに実施されている。)、順次二四名、一名、二一名からは検出されず、順次四名、一名、一名については不明(未検査)であつたこと、また、昭和五〇年一月末及び同年二月初めに実施された被告医院の全従業員(一二名)についての検便の結果、内六名からやはりサ・ハ菌が検出されたことがそれぞれ認められ(なお、<証拠>を併せると、右の一二月分中検出された二名というのは、二八日出生の原告16と三一日出生の者(訴外人)、二月分中検出された一名というのは九日出生の原告55であることが明らかである。)、<証拠>によれば、被告医院では、母児異室制をとつており、新生児は分娩直後からほぼ一週間後の退院に至るまでいわゆる新生児室に収容されているが、右のサ・ハ菌が検出された従業員六名というのはいずれも常時右新生児室に出入りしていた者であることが認められる。

3右1及び2の各事実に、<証拠>を併せると、被告医院において、ほぼ昭和四九年一二月末頃から同五〇年初め頃にかけて(特に一月を中心として)、新生児室内を中心としてサ・ハ菌の院内感染が発生し、この間の出生児である本件新生児についてはいずれも(但し、桑原はしばらく措く。)、その出生直後被告医院内(主として新生児室内)において、サ・ハ菌が少なくとも感染したものと認められ<る。>

そして、<証拠>によれば、本件新生児のうち少なくとも原告36、大岡由倫、原告14、稲吉塁、原告44、同31及び同42はいずれも、順次昭和五〇年一月二三日、同月二五日、同月三〇日、同年二月一日、同月一〇日、同月一三日及び同年三月二二日にそれぞれ異常を訴えて国立呉病院で受診した際、サ・ハ菌による感染症に罹患していたことが認められるし、その余の本件新生児(桑原成行はしばらく措く。)についても、荒光証言及び弁論の全趣旨を総合すると、いずれも前記感染によりその頃サ感染症に罹患した(その症状の程度は別として)ことが認められ<る。>

なお、桑原成行を除く本件新生児がいずれもサ感染症に罹患したこと自体については、被告呉市及び同国はこれを認めている。

4本件新生児のうち、大岡由倫、稲吉塁、永井千差子、原告11(坂本マサミ)及び同14(丸岡良知)の本件感染症発症後の経過について検討し、併せて桑原成行の感染の有無等について検討を加える。

(一)  大岡及び稲吉について

両名が死亡したこと自体は全当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、両名はいずれも、本件感染によつて化膿性髄膜炎を惹起し(なお、サ菌の感染によつて特に乳幼児にあつては菌血症及びこれによる髄膜炎を惹起する場合の少なくないことは<証拠>及び鑑定の結果によつても認められる。)、これにより死亡した(死亡した日は、大岡が昭和五〇年一月二五日、稲吉が同年二月一日。)ことが認められ<る。>

(二)  坂本及び丸岡について

<証拠>によれば、坂本は遅くとも昭和五〇年一二月頃までには脳性小児麻痺と診断できたことが、また、<証拠>によれば、丸岡は、昭和五〇年一月三〇日の時点で本件感染によって化膿性髄膜炎を惹起しており、更に同年四月二二日の時点では脳性小児麻痺、精神薄弱及びてんかんと診断できたことがそれぞれ認められる。

ここで、鑑定人(京都大学医学部小児科教授三河春樹)は、右の脳性小児麻痺とかてんかん等と本件感染との因果関係について、次のとおり述べている。

「脳性小児麻痺の発生要因は先天性因子と後天性因子とに二分される。先天性要因は極めて多岐にわたつており、その因果関係も個々の症例において必ずしも明確に追求し得るものばかりではない。他方、後天的な脳性小児麻痺では、明らかな前駆疾患があつてそれがある程度の脳実質障害を伴つた場合には、その関連性を極めて高い確率で推定し得る。

ところで、サ感染症は元来消化管感染から菌血症を来たし易く、髄膜炎等を派生することがあつて、これが脳障害に発展し、従つてまた脳性小児麻痺に至る可能性も否定し得ない(髄膜炎は脳性小児麻痺の発生要因に深い関わりを持つ。)。

丸岡については、右のような髄膜炎の先行した発生が明らかである以上、脳性小児麻痺は本件感染に基づく髄膜炎による後遺症として発症したと考えるのが最も妥当な結論である。精神薄弱及びてんかんについても右同様の結論である(髄膜炎はてんかんの発生要因としても深い関わりを持つ。)。

坂本については、資料上、菌血症、髄膜炎や脳性の先行を実証する臨床症状も示されておらず、またこれらを肯定する検査所見も呈示されていないから、先天的要因による脳性小児麻痺かサ菌感染に基づく後天的脳性小児麻痺かを判断する積極的な論証を示すことができず、結局、資料上本件因果関係の有無を認定することは困難である。」

しかして、丸岡については、右鑑定の結果及び荒光証言によつて、本件感染に基づく化膿性髄膜炎による後遺症として前認定の脳性小児麻痺、精神薄弱及びてんかんを生じているものと認めることができ<る。>

次に、坂本についてみる。

前認定のとおりサ感染症は特に乳幼児において菌血症及びこれによる髄膜炎を惹起することが少なくないし、荒光証言及び鑑定の結果によれば、菌血症及び髄膜炎は、脳障害を伴うことがあり、ひいては脳性小児麻痺に至ることもある(従つて、サ感染症が脳性小児麻痺に至る可能性はある。なお、髄膜炎は脳性小児麻痺の発生要因に深い関わりを持つ。)と認められるところ、鑑定人は、要するに、坂本の場合、菌血症、髄膜炎あるいは脳症が先行したことを示す資料がないから、そのサ感染症と脳性小児麻痺の因果関係の有無を判断することが困難である(丸岡の場合、右の意味での資料があるから、その因果関係が肯定される。)、というのである。

しかし、右認定のとおり、サ感染症と髄膜炎、また髄膜炎と脳性小児麻痺との間にはそれぞれ少なからぬ関係があり、従つてまたサ感染症が脳性小児麻痺を惹起する可能性が一般的には認められ、しかも、現に、同じく本件院内感染によつてサ・ハ菌の感染を受けた丸岡についてそのサ感染症と脳性小児麻痺との間に因果関係が肯定されている以上、坂本についても、少なくとも他の要因に基づく可能性の方がより高いなどの特段の事情が立証されない限り、その因果関係のあることが推認されるというべきである。本件全証拠を検討してみても、右のような特段の事情の立証は何らなく、他に右推認を覆すに足りる証拠はない。

(三)  永井について

永井が死亡したこと自体は全当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、永井は昭和五〇年三月二九日呼吸麻痺を来たして死亡したが、その原因は、先天的に左横隔膜に裂孔(穴)があつたところ、ヘルニアの嵌頓(右の裂孔に腸が逸脱し戻らなくなること。)が生じ、これが肺を圧迫したためであることが認められる。

荒光証言及び鑑定の結果によれば、右のように先天的に横隔膜裂孔がある場合、一般的にヘルニア嵌頓(そして肺圧迫、死)の危険は常にある(その意味で、永井は先天性要因に基づく極めて予後不良の奇形素因をもつて出生したといえる。)ところ、一般的にみて、サ感染症が腸の蠕動を高めることによつて右ヘルニア嵌頓の引き金となる可能性はあることが認められる(永井について、具体的にそのサ感染症とヘルニア嵌頓<そしてこれによる死>との間に因果関係を認め得るか否かについては、後に判断することとする。)。

(四)  桑原について

桑原(昭和五〇年一月二七日被告医院にて出生したことは前記のとおり。)が死亡したこと自体は全当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、桑原は、出生後四日目の昭和五〇年一月三〇日午後二時頃、発熱等を理由に被告医院から呉共済病院に転送されたが、同月三一日午前一時三五分頃病院において死亡したことが認められる。

原告は、桑原も本件院内感染によりサ菌の感染を受けており、右死亡もサ感染症に基因する、と主張するので、以下検討する。

まず、<証拠>によれば、桑原については細菌の検査を全く実施していないことが認められるが、しかし、前認定のとおり、被告医院においては昭和四九年一二月末頃から同五〇年初め頃にかけて(特に昭和五〇年一月を中心として)新生児室内を中心としてサ・ハ菌の院内感染が発生しており、しかも、昭和五〇年一月出生児については、計二八名(桑原を除けば二七名)中二六名からサ・ハ菌が検出され、かつサ感染症に罹患していたというのであるから、桑原も本件院内感染によりサ・ハ菌の感染を受けかつサ感染症に罹患していたものと推認され、これを覆すに足りる証拠はない。

次に、桑原の死亡と右サ感染症との因果関係の存否について検討する。

前掲乙第四二号証及び鑑定の結果によれば、桑原は、前記の呉共済病院転送時以降において、発熱(三八度ないし四二度以上)及び白血球減少という重症感染症様の症状並びにけいれんの頻発及び両手麻痺等の髄膜炎様の症状も呈していたことが認められるから、前記のとおり、サ感染症は髄膜炎を惹起(そして死亡)することも少なくなく、現に、本件同一院内感染を受けた新生児の内大岡、稲吉及び丸岡がいずれも髄膜炎を惹起し、しかも前二者はこれに基因して死亡していることを併せると、桑原についても、直接死因はともかくとしてサ感染症に基因して死亡した(相当因果関係がある。)ものと推認するのが相当である(鑑定人も、死亡前の症状を検討したうえで、髄液検査等の諸検査が実施されていないため確定的な証明はできないとしながらも、「サ菌による感染によつて死亡に至つた可能性は<他症例との関係を顧慮して>強く示唆される。」という。)。

もつとも、右乙第四二号証(前記呉共済病院における桑原についての死亡診断書、診療録、看護記録及び検査記録)によれば、呉共済病院にあつては、桑原について、その傷病名を肺炎、脳性小児麻痺、消化不良症とし、また、直接死因を肺炎とし、その肺炎の原因を脳性小児麻痺としていたことが認められるが、右乙号証、荒光証言及び鑑定の結果(鑑定人はもちろん右の乙号証を検討している。)を総合すると、右の「脳性小児麻痺」との診断は必ずしも妥当でなく、けいれんの頻発及び両手麻痺等の神経症状の存在を捉えているに過ぎないこと、そして右のような症状は髄膜炎(ないしこれによる脳障害)によつても生ずる(この点は前記(二)に述べたところからも明らかである。)こと、桑原は、呼吸困難及び呻吟の症状があつたし、胸部レントゲン線上に若干の陰影がみられ、肺炎の存在自体は必ずしも否定し得ないが、少なくとも、これが死因に関係したか否かを確定することが困難であることが認められ、そして、肺炎にしてもサ感染症から生じ得ることが<証拠>によつて認められる。従つて、呉共済病院の前記診断をもつてしても、前記推認を覆すに足りる的確な資料たり得ず、他に前記推認を覆すに足りる証拠はない。

三  本件院内感染の経路

本件が新生児室内を中心とする院内感染であることは前認定のとおりであるが、その感染経路について以下検討する。

1まず、サ菌の一般的な感染経路についてみるに、<証拠>によれば、以下の各事実が認められ<る。>。

サ菌の感染及びこれによる感染症は菌が腸管内に定着することによるが、人への侵入経路は口からのみと考えてよい(但し、菌の付着した検温器で直腸検温をするような特殊な場合には、直接腸内に侵入する。)し、人からの排出経路は便及び口からの吐物(主として便。以下これらを排泄物という。)のみといえる。

一般の大人あるいはほぼ学齢以上の子供の場合、サ感染症が発症するのは常に食品を介してのいわゆる経口感染であり、しかも、一旦食品内で菌が多量に増殖していることが前提であつて、少量の菌が摂取されただけでは発症しない(菌型によつても異なるが、発症に要する菌数は平均千万個以上ともいわれる。)。ただ、発症しない健康人の中にも、一定期間継続的に排菌している者や、単に一時通過菌として短時日のうちに除菌している者もいて、これらを含めたサ菌保菌者は、日本でも、食肉等の汚染の進行につれて年々増加の傾向にあつて、一九七〇年前後頃においても0.5パーセントあるいはそれ以上ともいわれている。

乳幼児(特に新生児)の場合には、大人と異なつて、極く少量の菌によつても発症し(数千から数万個で発症するともいわれる。)、従つて、右のような食品を介しての経口感染以外に、空気感染(経気道の感染)あるいは接触感染(ここではもちろん「口」への接触であり、菌で汚染された<菌の付着した>器具とか人の身体等が口に接触することによつて感染すること。)によつても発症する。なお、空気感染といつても、感染者から他の者への伝播を考える場合、前記の侵入及び排出の経路からして、結核とか感冒にみられるような飛沫感染がある訳ではなく、実際上は、ある区分された哺育室内において感染児がいるときに、菌を含むその排泄物がおむつ、シーツ等に付着し、間もなくそれが乾燥して、室内の空気の流動とともにほこりとなつて空気中に飛散し、これが別の乳児の口に付着して感染する、という場合ぐらいしか考えられない。

2まず、本件の初発例についてみる。

<証拠>によれば、産婦がサ菌を保菌しておれば産道感染する危険が高く、これまでの諸外国の同種事例でも産道感染から始まつたとされているものが多いことが認められるし、一応初発例としては一二月三一日出生児(訴外人)又は一月一日出生児(原告21)が考えられる(一二月二八日出生児は、これと一緒に在室したことのある以前の出生児からサ菌が検出されていないから、初発例ではないといえる。とすると、これと一緒に在室したことのある以後の出生児が初発例ということになり、この要件を満たすのは右の二例である。)と認められるところ、そのうち、後者の母親からサ・ハ菌が検出されている(<証拠>によつて認められる。)。

以上の各事実に、<証拠>を総合すると、本件初発例は、当該新生児の特定はさておき、分娩前から保菌していた産婦からの産道感染(分娩時における感染)によるものと推認され、これを覆すに足りる証拠はない(なお、荒光証人は、大岡由倫及び丸岡良知の診察をしたことによつて被告医院における本件院内感染を最初に発見し、その後も一貫して本件新生児らの診療にあたつて来た国立呉病院小児科の医師であり、坂崎証人は、サ菌の細菌学的研究に関して我が国における権威者の一人で、国立予防衛生研究所所属である。)。

3右にいう初発感染児に端を発して、その保菌するサ・ハ菌が次から次へと他の新生児に感染していつた(即ち、新生児から新生児への感染である。)、とみるべきこと、荒光証言及び坂崎証言並びに弁論の全趣旨により明らかである(原被告らはこの点は特に争つていない。)が、前記1の事実を併せると、感染児の排泄物の中に含まれる菌が伝播して他の新生児の口に付着し侵入した(直接腸内へ侵入するのは別として)ものであり、その間の伝播(感染)経路としては前記1の接触又は経気道(空気感染)のいずれかということになる(食品を介しての経口感染については、新生児の場合食事としては母乳とミルクに限定されているところ、これらを口にすることは接触の一態様として考えることにする。)。

右の接触感染か空気感染かのいずれであるかについて以下検討する(被告武田は空気感染を、原告は接触感染をそれぞれ主張している。被告武田のいう「空気感染」の具体的内容は必ずしも明確ではないが、本件では前記1に述べた「新生児室(付属室を含む)内において、感染児の排泄物がおむつ等に付着→間もなく乾燥→ほこりとなつて空気中に飛散→他の新生児の口に侵入」というものしかそもそも考える余地がないから、以下ではこの意味で「空気感染」という語を用いる。なお、原告は「経口感染」という語を用いているが、これまで述べた接触感染を主張していること明らかである。)。

ここで、前記荒光は、空気感染の可能性も否定できないが、それよりも接触感染とみるべきである(荒光証人も一部で「経口感染」という語を用いているが、前記の接触感染を指していること明らかである。)と述べるのに対し、前記坂崎は、接触感染も考えられるが、それよりも空気感染とみるのが最も常識的であると述べる(なお、坂崎のいう「空気感染」も前記の意味でのそれであることもちろんである。)。

本件において接触感染の可能性に疑いを生ぜしめるような資料が存するか。二月九日出生の原告55が感染を受けたこと前認定のとおりであり、<証拠>によれば、被告医院では、一月三〇日以降新規入院を停止して、院内(新生児室を含めて)の消毒を実施しており、右原告はその後初めての出生児である(産婦の入院も二月九日。)と認められるところ、これをもつて接触感染を否定し空気感染を裏付ける資料といえるかというに、<証拠>によれば、被告医院の従業員については、二月一〇日以降の検便ではいずれもサ菌は検出されていないが、二月三日の検便では看護助手及び助産婦各一名からサ・ハ菌が検出されていたことが認められるから、これらの者からの接触による感染ということも考えられなくはないところであるし、また、もしこれが空気感染とすれば、二月九日以降右原告と一緒に存室していたことのある他の新生児にも感染するのが自然であるのに、感染していないこと前記のとおりであるから、少なくとも右原告に関しては却つて空気感染を否定すべき資料となるというべく、他に本件全証拠を検討してみても、接触感染の可能性に疑いを生ぜしめるような資料はない。

他方、本件において空気感染の可能性に疑いを生ぜしめるような資料が存するか。

<証拠>によれば、被告医院従業員に対する前記検便の結果、当時新生児室によく出入りしていた者九名の内、医師の被告武田、看護婦長の久保芳枝及び準看護婦一名の計三名からはサ菌は検出されなかつたことが認められるが、空気感染によつて新生児には感染するが大人には感染しないことも十分考え得る(大人の場合、空気感染によつては発症しないこと前記のとおりであるが、感染<あるいは感染には至らないが少なくとも保菌すること>自体はあり得ること、証拠により明らかである。が、感染あるいは保菌に至るについても、大人と乳幼児ではこれに要する菌量の違いがある訳である。)から、これをもつて直ちに空気感染を否定する資料ということはできない。ただ、前認定のとおり右九名の内六名からはサ・ハ菌が検出されたのであるから、これらの結果を空気感染のみで説明することは難しい面もある。けだし、空気感染とすれば九名についてほぼ一様の結果が出るのが自然といえるから。もつとも、証拠によれば、サ菌は保菌していても、その量が少ないと、時期とか検査方法とかによつて検便で検出されたりされなかつたりすることも認められるが、右三名については、昭和五〇年一月三一日及び同年二月三日の二回の検便の結果いずれとも陰性であつた(右の各証拠による。)のであるから、やはり問題点として残る。

少なくとも、従業員の保菌については、感染新生児の排泄物に接触した結果とみる方が自然である。けだし、菌が検出された六名はいずれも新生児のおむつ交換等便の処理を日常的に担当していたのに比して、婦長の久保は右処理の機会が少なかつたし、医師の被告武田は全くなかつたのであるから。しかし、右の点は、間接的には新生児の感染経路を知る一つの資料にはなるが、基本的には大人である従業員の感染に関しての問題にとどまり、他には、本件全証拠を検討するも、空気感染の可能性に疑いを生ぜしめるような資料はない。

そして、前記の荒光及び坂崎はいずれも、明確な科学的根拠を示して一方の経路を推定しているものではなく、従つてまた、他方の経路の可能性も否定してはいない。

結局、本件の初発例以降の新生児から新生児への感染経路については、前記の意味での接触感染か空気感染のいずれかであることは間違いないが、本件全証拠によるも、そのいずれであるか、またいずれであるにしてもその具体的経路がどうであるか(なお、可能性のある具体的経路については次項で検討する。)については、これを断定することは難しいといわざるを得ない(接触感染と空気感染が競合していた可能性もある。)。

4ところで、右の空気感染については、これまでに述べて来たところから明らかなように、感染児の排泄物が新生児室(その付属施設を含む。)内において乾燥する(そして、これがほこりとなつて空気中に飛散し、結局その中に含まれるサ菌が他の新生児の口に付着し侵入する)という場合のみが考えられるが、右の接触感染について更に具体的に検討しておく。

これまでに述べたところからして、感染児の排泄物(サ菌が含まれる。)が人の身体又は器具、ミルク等に付着し、そのサ菌が付着した身体又は器具、ミルク等が新生児の口に接触して感染するというものであること明らかであるが、久保証言及び被告武田本人尋問の結果によれば、被告医院では、新生児の介護については、母乳を飲ませる時(この時は、母親が自分の病室で飲ませる。なお、全く母乳だけでミルクを与えないという新生児はいなかつた。)以外は、原則として全て看護婦等の被告医院従業員が新生児室(付属の沐浴室を含む。)内において行い、従つてまた、右従業員以外が新生児の排泄物の処理をすることはまずなかつたことが認められるから、右接触感染を招来すべき「感染児の排泄物中のサ菌が付着し得る機会があり、かつ、他の新生児の口に接触する機会がある」接触物としては、新生児の介護を担当する看護婦等従業員の身体(主として手指)又は衣服と新生児室(付属施設を含む。)内の新生児の口に直接間接に接触する機会のある器具及びミルクを考えれば足りる(なお、右の器具及びミルクに感染児のサ菌が付着するのは、その排泄物に直接に触れることによるよりも、右の従業員の手指を介しての方が多い<特にミルクは右排泄物に直接に触れることはない。>こと明らかである。)。そして、久保証言及び被告武田本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合して認められる被告医院における新生児介護の実態からすれば、右の器具としては、調授乳具と沐浴槽(沐浴の際には、感染児の便が当然湯の中に混入するし、槽にも付着する。)が主たるもので、他には、新生児の衣類とベッド(シーツ等を含めて。)を考えれば足りる。

なお、久保証言によれば、被告医院では、新生児については直腸検温であつたことが認められるから、その際にもサ菌が直接腸内に侵入し得ること、前述したところから明らかである。

四  前記二のサルモネラ感染症を発生させたについての被告武田の医師としての注意義務違反(過失)

<本項は、基本的には原告と被告武田間の議論であるが、後の被告呉市及び同国の責任の存否の判断に関連するところがあるので、事実認定に関しては原則として全当事者間においてなすこととする。なお、本項で単に「被告」というときは被告武田を指す。>

1<証拠>によれば、一般に病院では病原細菌の院内感染が発生し易く、特に産院では、そもそも新生児は細菌に対する抵抗力が極めて弱くこれが感染し易いうえ、母児異室とし独立の新生児室を設けている場合には特に、限られた空間に新生児を多数収容しているから、細菌の集中(集団)感染が発生し易いし、新生児の場合、右のように抵抗力が弱いことから、健康成人ではさして問題とならないような細菌によつても重大な(時には致命的な)感染症に至ることも多いと認められる(サ菌についても以上のことがあてはまることは、前記二1の冒頭に掲げた各証拠により明らかである。)から、産院を開設していた(そして前記のとおり独立の新生児室を設け母児異室制をとつていた)医師である被告としては、在院中の新生児にそもそも細菌が感染するのを防止すべく、特に新生児室(その付属施設を含めて)を中心に、人的物的に充分その清潔を保持するよう最善を尽くすべき注意義務があつたというべきこと明らかである(被告も、右のような一般的な注意義務があること自体については、特に争つていない。)。右の各証拠によれば、新生児にあつては、細菌感染に気付いた時点では既に手遅れで重大な結果が発生しているという場合も少なくないことが認められる(サ菌についても右の事情があてはまること前同様である。)から、右のようなそもそも感染すること自体を防止すべく最善を尽くす義務というのは特に強調されてしかるべきである。

そして、右義務を、本件結果(その感染経路も含めて)と関連を有する限度で、更に具体的にいうならば、次のとおりである(初発例との関係でしばらく措くこととし、その余との関係でみる。)。

新生児室内に何らかの原因(例えば産道感染等)で細菌感染児が出現していることは充分に予想し得るところである(右の各証拠によつて明らかである。)から、その感染児から排出される細菌が伝播して他の新生児に侵入し感染するのを防止すべく、通常考え得る排出過程、伝播過程、侵入過程それぞれにおいて人的物的に清潔を保持すべきであつたといえる。

ここで、被告は、「サ菌については、当時は、医学関係者の間でも、その感染経路とか症状及び治療法等についてよく知られていなかつたのであるから、注意義務違反を判断するにあたつて充分に考慮すべきである。」旨主張しているが、右に掲げた各証拠によれば、本件で前記三3、4に設定したような感染経路は、当時まさに「よく知られていた」他の細菌(特に腸内細菌)にあつても通常よくみられる経路であることが認められるから、仮に被告が主張するごとくサ菌について「よく知られていなかつた」としても、少なくとも感染防止に関しての右の注意義務及びその違反を判断するには何ら影響がないというべきである(まして、我が国では珍しいハバナ菌であるにしても、右判断に何らの影響を及ぼさないこと明白である。)。

結局、被告は、新生児から新生児へと細菌が感染するのを防止すべく、感染児の排泄物中の細菌が他の新生児の口(直腸検温については直接腸内)に付着することがないように、前記三4に述べた各過程においてその清潔保持に最善を尽くすべき義務があつたといえる。

2ここで、本件の初発例以降の新生児から新生児への感染の防止の可能性(結果回避可能性)について触れておく。

サ菌については、前認定のとおり、健康人の中にもこれを保菌している者が少なくなく(我が国における保菌率は0.5パーセント位あるいはそれ以上。)、妊婦が保菌していれば新生児に産道感染する可能性が高いというのであるから、産院の新生児室内にサ菌感染児(本件でいう初発例)が出現していることは決して少なくないといえるところ、<証拠>を総合すれば、我が国においては、本件のような産院新生児室におけるサ菌の集団感染事例は、それ程の数がなく、却つて極めて珍しい(本件前には二例しか報告されていない。)ことが認められる(なお、本件サ・ハ菌はサ菌の中で特殊な感染力とか感染経路を有するものでないこと、坂崎証言により明らかである。)から、大方において、産院側の新生児室内の清潔保持によつて本件のような集団感染は防止し得るし、また実際防止して来たといえる。被告は、「空気感染を防止することは不可能である(即ち、最善を尽くしても感染は避けられない。)。」旨主張しているが、空気感染についても事は同じである。空気感染の過程については、確かに、菌が空気中に飛散してしまつた後においては、余程完璧な空調設備でも設置されていない限り、新生児への感染は不可避であろう。しかし、前述したところに<証拠>を併せ検討すると、感染児の排泄物中のサ菌が空気中に飛散するのは、当然直ちにという訳ではなく、その排泄物が乾燥することによりほこりとなつて飛散するというものであるから、その乾燥を防止すれば結果として空気感染を防ぐことができるというべきである。そして、それは、排泄物が付着するもの(主として交換した後のおむつ)を迅速に新生児室外へ排除することによつて可能である。もし被告のいうように空気感染についてはいわば「お手上げ」というのであれば、前記のような事情からして、我が国においてその集団感染事例が多発してしかるべきである。

なお、新生児室内における新生児から新生児へのサ菌の感染を防止するには、前述したところから明らかなように、結局のところ、新生児の排泄物が他の新生児の口に付着侵入しないようにすればよいのであり、その意味で、侵入経路及び排出経路が単純でない他の細菌感染に比べてその防止はやさしい部類に入るともいえ、このことからも、本件のような新生児室におけるサ菌の集団感染が大方において防止し得て来たことがうなずける。

3被告に右1にいう注意義務(初発例との関係での義務はここでは措く。)の違反があつたか否かについて判断する。

(一)  本件の初発例以降の感染経路は、前記のとおり具体的には確定することができないものの、三3、4に認定したようないくつかの経路を可能性として考え得るところ、これらは、四1にも述べたとおり他の細菌にあつても通常よくあり得るものばかりであるし、かつ、四2に述べたとおり、侵入及び排出の経路が単純でない細菌に比べればその経路を遮断することが比較的やさしい部類に入るのであつて、それ故にこそ、四2のとおり、我が国ではサ菌の新生児室における集団感染は極めて珍しく大方においてこれを防止し得て来たというのであるから、これらの事情からすれば、本件においては、被告には、三4に述べた経路のうち少なくともいずれかの点で清潔保持に欠けるところがあつた、即ち前記注意義務に違反するところ(過失)があつたと推認するのが相当である。

そして、三4の経路はいずれも被告医院の内部的事項に属するものばかりであるから、その証拠への近さからしても、被告において、三4の各経路につき最善を尽くしてその清潔保持に努めていたことについて相当程度の立証(あくまでも反証であるが。)をしない限り、被告は過失責任を免れないものとみるべきである。

(二) ところで、被告医院の看護婦長であつた証人久保及び被告本人はいずれも、右のような各経路について清潔保持に努めていた旨供述しているのであるが、当裁判所の結論を先に示せば、少なくとも、新生児の介護を担当していた看護婦等従業員(本3項では単に「介護者」という。)の手指の消毒の点及び交換後のおむつの新生児室(沐浴室を含む。)外への迅速排除の点において、清潔保持に最善を尽くしていたとは認め難いところがある。項を改めてその点について述べる。

(三) 介護者がサ菌感染児の排泄物(主として便)を処理する時(主としておむつの交換時及び沐浴時)にはその手指にサ菌が付着し、そのサ菌が付着した手指で新生児の介護、特に調乳又は援乳をすれば、ミルク及び授乳具に菌が付着する危険が高く、ひいては他の新生児の口に菌が侵入し、あるいは直接手指が新生児の口に接触して菌が侵入すること、これまでに述べたところから明らかであるから、ある新生児の介護(特に調授乳)をするにあたつては(特に他の新生児の便を処理した後右介護をするにあたつては)、必ず事前にその手指の消毒をすべき(他の細菌に関しても同様な場合の多いこと前述したところから明らかである。)こというまでもないところであつて、証拠によれば、右のような介護者の手指の事前事後の消毒ということは、細菌の院内感染防止のために最も基本的な注意事項とされていることが認められる。

<証拠>によれば、被告医院では、介護者の手指の消毒は、基本的には水洗いし石けんとかヒビテン液で消毒していたことが認められ、<証拠>を総合すれば、右のような消毒方法自体は極く一般的であつたと認められるが、しかし、そのような手指の消毒を各新生児毎にその介護の事前事後になしていたかについて次のとおり強い疑問が残るのである。

前記認定の被告医院従業員についての検便の結果に久保証言を併せると、本件当時、右の意味での介護者は計七名いたが、その内五名からサ・ハ菌が検出されたことが認められ(なお、検出された残り一名の従業員は新生児室に出入りして交換後のおむつ等を運搬していた雑役婦であることが認められる。)、その保菌は感染児の排泄物(主として便)に接触したことによるとみるべきこと前記のとおりであり、そうとすると、右接触の機会が一番多い身体の部位は手指であること明らかであるから、これらの介護者が果たして新生児の取扱(特におむつ交換及び沐浴)後その手指の消毒を充分にしていたかどうか、強い疑問が残るといわざるを得ない(なお<証拠>によれば、昭和四八年五月に国立大阪病院新生児室においてサ菌の集団感染事例が発生したが、そこでは関係職員からはサ菌は全く検出されなかつたことが認められ、本件とは対照的である。)。そして、<証拠>によれば、被告医院では、本件当時、新生児室の中には流しが設置されていたほか、消毒液を入れた洗面器が一つ置かれていたが、その流しは授乳具等の水洗にも利用されていて、独自の手洗所はなかつたし、新生児室の隣りに独立して設けられていた沐浴室(同室では、沐浴槽が置かれ新生児の沐浴をしていたし、その際おむつ交換もしていた。)の中には、手を洗いあるいは消毒するような設備は全くなかつたことが認められるのであつて、右認定のような設備のもとで、介護者が果たして各新生児の取扱毎に手指の水洗及び消毒を実施していたか(特に沐浴室での介護<沐浴とおむつ交換>の際)、についてやはり強い疑問が残る(なお、<証拠>によれば、本件後、保健所からの指導もあつて、ようやく新生児室及び沐浴室にそれぞれ専用の手洗所が設置されたことが認められる。)。

次に、交換後のおむつの迅速排除の点について。前記一のとおり昭和四九年一二月二八日に入院し同五〇年一月四日に退院した産婦の原告石田愛子は、「正月休みの頃、看護婦は忙しそうで、沐浴室内のバケツの中に汚れたおむつが山のようになつて積まれていたのを見た。」旨述べているところ、右供述は、具体的であつて特に不自然な点もないし、また、<証拠>によつて認められる被告医院における昭和五〇年一月一日から同月三日までの間の看護業務の実態(妊婦ないし産婦が四名、新生児が三名在院していたところ、看護婦等の従業員は、夜間は一人、昼間も一人ないし二人しか勤務しておらず、これらが全看護業務を担当していた。)に照らしてみても、なる程とうなずける面があつて、その信用性はかなり高いというべきで、反対に右正月当時おむつを迅速に排除していたことをうかがわせる有力が資料の見当らない本件においては、結局少なくとも右正月当時(昭和五〇年一月一日から同月三日まで)において、交換後のおむつを新生児室及び沐浴室の外へ迅速に排除していたか、についてはかなりの疑問が残るといわざるを得ない。

以上述べたところからして、被告医院では、本件当時、介護者の手指の消毒が不充分であつた、との強い疑いと、交換後のおむつを新生児室(沐浴室を含めて)外へ迅速に排除していなかつた、とのかなりの疑いがあり、とすると、前記の過失の推認は覆らないというべきで、他に本件全証拠を検討してみても、前記過失の推認を覆すに足りる証拠はない。

なお、原告が、被告医院においては調乳台が沐浴槽に隣接して設置されていた、と主張しているところ、もし右のような設置状況であるとすれば、いわば新生児の便と食を一緒にするようなもので、それ自体で細菌感染の危険が極めて高いというべき重要な点であるので、この点について付言するに、結論としては、当裁判所は、<証拠>によつて、被告医院においては、本件当時、前記の新生児室内の流し横に調乳台があり、その場所で調乳をしていたものと認める。

確かに<証拠>によれば、呉市保健所職員が本件後の昭和五〇年二月一八日被告医院の医療監視を行つたが、当該職員(持田栄養士)は、その上司に対し、沐浴槽の側にある台の上で調乳する旨報告した(そして、右報告をもとにして呉市保健所の本件についての調査書面等が作成された)ことが認められるが、久保証言によれば、当日持田から調乳の手順を説明するよう求められて、久保が、新生児の在室している新生児室に入室させるのは適当でないと考え、沐浴室内において調乳のやり方を説明したのを、持田が実際にその場で調乳していると誤解して前記報告をするに至つたことが認められる(岡本証言によつても、持田は少なくとも実際の介護過程における調乳現場を見たものではないことが認められる。)。そして、そもそも、前記のとおり沐浴室には器具等を水洗いするような設備がないのであるから、同室で調乳するとは考え難いところである。

(四)  右(一)ないし(三)からして、被告は、前記二の本件新生児(初発例は除く。)のサ感染症を惹起させたについて、その過失責任を免れず、これによつて生じた後記損害を賠償すべきものというべきである。

4次に、前記初発例との関係で、被告に前記1の注意義務の違反(過失)があつたか否かにつき検討する。

前記三2のとおり本件初発例は産道感染によるところ、後記六1に述べるとおり、最近に至るも(本件当時の医療水準ではもちろん)、サ菌の産道感染自体を防止するに有効な方法はない(原告が本件において妊婦の検便を強調するのも、主として当該新生児の感染症の早期発見による重症化の阻止及び他の新生児への感染の防止という観点からである。)のであるから、右初発例については被告の過失責任を問うことはできない。

ところで、前記三2に述べたとおり、本件初発例は一二月三一日出生児(訴外人)か原告21のいずれかであるから、ここでは原告21の感染経路を検討すべきことになる。即ち、同原告の感染経路としては、これまでに述べたところからして、産道感染(初発例)か前記の接触又は空気感染のいずれかということになる(その余の本件新生児はいずれも後者である。)が、同原告は、後者の経路であること(裏を返せば、産道感染でないこと)が認定されない限り、被告に対して過失責任を問うことができない訳である。

検討するに、いずれも分娩後しばらく経つての検便の結果ではあるが、一二月三一日出生児の母親からはサ菌が検出されていないのに対し、原告21の母親(原告22)からサ・ハ菌が検出されている(前記三2)から、両者の比較において、より原告21の方に初発例(産道感染)との疑問が生ずるのもやむを得ない(もちろん、事後の検便の結果から直ちに分娩時の保菌の有無を知ることはできないし、原告21の母親も他の第四グループの者の場合<後記五1のとおり>と同様に新生児からの退院後における感染という可能性も否定できないが。)ところであるし、本件全証拠を精査してみても、原告21の感染経路を産道感染か接触又は空気感染のいずれかに確定する的確な証拠がなく、結局、接触又は空気感染であると認めるには足りない。

以上から、原告21については被告の過失責任を否定せざるを得ない。診療債務の不履行責任も否定されること明らかである。

五  第四グループのサルモネラ保菌について

1<証拠>によれば、第四グループ(原告8ないし58の内、本件新生児を除くその余の原告ら)についてはいずれも、昭和五〇年二月ないし九月の間に少なくとも一度は、検便の結果サ・ハ菌が検出されたことが、ただし、<証拠>によれば、これらはいずれも特にサ感染症の発症はなかつたことがそれぞれ認められる(なお、これらの者がサ菌を保菌したこと自体は、被告呉市及び同国はこれを認めているし、同武田も特に争つてはいない。発症がなかつたことは原告の自認するところである。)ところ、第四グループがいずれも、本件新生児の母親ないしは本件新生児退院後これと一定期間生活を共にしたことのある父親、兄弟その他の家族あるいは親族であることについては、被告らはいずれも、これを明らかに争わないから、自白したものとみなす(なお、母親については前記一のとおり)が、右各事実に<証拠>を総合すると、第四グループ(但し、原告22を除く。本第五項では以下同様。)はいずれも、前記のとおりサ感染症に罹患していた本件新生児の保菌していたサ菌に端を発して、その退院後間もなくの頃家庭生活の中で、その排泄物(サ菌が含まれる。)に接触する(例えばおむつ交換時及び入浴時)とか、あるいは右接触によつて調理者の手指が汚染されひいて食物が汚染されるなどして結局これが口に付着し侵入するという伝播経路で、サ菌を保菌するに至つたことが認められ<る。>

そして、<証拠>によれば、家庭内に一人サ菌保菌者がいると(特にそれが他の介護を必要とする乳幼児である場合)、右のような伝播経路で他の家族が保菌するに至ることはよくあり得ることが認められるから、本件院内感染と第四グループの右保菌との間には因果関係があるというべきである。

2ここで、前記のとおり本件院内感染は被告武田の注意義務違反(過失)により生じたものであり、かつ右のとおり右院内感染と第四グループの保菌との間には因果関係があるにしても、右保菌(及びこれによる損害)が被告武田の医師としての注意義務違反(過失)によつて生じたといえるかどうかについて検討する。前記四1に述べた注意義務というのはあくまでも新生児に対するものであつて、ここでは、第四グループそのものに対する注意義務及びその違反(過失)ということが問題にされなければならない。この点に関する原告の主張は、「院内感染了知後家族への感染を防止するための措置を指示しなかつた」という点を除いては、必ずしも分明でないが、要するに、被告医院出生児の家族へもサ菌を保菌させないようにする注意義務があるところ、その違反があつた、ということであろう。

(一) これまでに認定したサ菌に関する事実に<証拠>を併せると、単にサ菌を保菌していても、感染が成立しかつその上で発症するという過程を経ない限り、身体に異常が生ずるものではなく、このようないわゆる健康保菌者は我が国においても少なくない(0.5パーセント位あるいはそれ以上ともいわれる。)し、食肉等環境がサ菌で汚染されているため、各種の機会に誰でもがサ菌を保菌するに至る危険があること、右健康保菌者の中には、短時日のうちに除菌する者と、そうではなく一定期間保菌を続ける者がいるが、保菌を続けてもそのことで当該本人がそのうち発症するということは乳幼児以外では考えられない(従つて、知らないうちに保菌し知らないうちに除菌するということが少なくない。)こと、以上の各事実が認められ<る。>

右認定事実によれば、サ菌を保菌することは、我々の生活の中で各種の機会に少なからずあり得、しかも、それ自体は身体に異常を来たすものではなく、いわゆる病気ともいえないというべきである(損害がないといつているのではない。)から、そのサ菌保菌という結果の程度からして、第四グループの保菌(及びこれによる損害)を生ぜしめたについて、被告武田の注意義務違反(過失)を考えることは難しいといわざるを得ない(注意義務違反につきその違法性を考えるにあたつても、当然結果の大小を斟酌すべきである。新生児に対する前記注意義務は、結局のところ「発症」させないようにする義務であつた。)。

もつとも、証拠によれば、サ菌については、一般には保菌者から直接他へ伝染して発症するということはないものの、前記のとおり乳幼児への感染及び発症ということはあるし、また、家庭生活の中で、前記のような経路で調理者の手指に菌が付着すると、調理の際に食品が菌で汚染されるが、その中で増殖があるとこれを口にした家族が感染及び発症をするということも少なからずあり得ることが認められるから、原告が主張している例のように、サ菌を保菌しただけでも、そのような伝播をさせないように、家庭内で消毒等に神経を使うとか、あるいは除菌しようと医者の診療を受けるとか(もつとも、右の各証拠によれば、除菌のための有効な医療的処置は発見されていないことが認められる。)の精神的苦痛等の損害が生ずることもあり得る(もつとも、サ菌の保菌を知つた場合のことであるが。)といえるが、しかし、その点については、右のようにして現実に発症した場合に、当該発症者との関係で医師の注意義務違反を考えれば足りるというべきであつて、前記判断はなんら左右されない。

(二)  なお、第四グループの内本件新生児の母親である者については、不法行為の外に診療債務の不履行も主張されているので、検討するに、請求原因6後段の事実(右母親らと被告武田との間の診療契約の締結)は被告武田も認めるところであり、右(一)の不法行為法上の注意義務と同列には考えられないことは確かであるが、本件結果との関係でいうならば、前記のようなサ菌の保菌という結果の程度からして、産婦に対し分娩かつ退院後において誤つてサ菌を保菌させることのないようにする債務を措定することがやはり難しいといわざるを得ない。

3なお、原告22(原告21の母親)がサ菌を保菌したについては、前記四4に述べたところからして、被告医院内における院内感染又はこれに基因する感染であると認めるには足りないから、その余について判断するまでもなく、被告武田の責任(不法行為、債務不履行)はない。

六  被告呉市の責任について

<本項の判断は後の被告国の責任の存否の判断にも関係するので、原告と被告呉市及び同国間において事実認定及び判断をする。「当事者」というときは原告と被告呉市及び同国を指し、「被告ら」というときは右両被告を指す。>

1請求原因8(一)の事実(呉市長ないし呉市保健所の一般的な権限及び職責)は当事者間に争いがないところ、原告は、まず、右のような権限及び職責を有する呉市長ないし呉市保健所としては、細菌による院内感染を防止すべく、被告医院について、新生児室への立入検査をし、あるいは予防対策等の知識を知らしめるなど必要かつ適切な指導等の措置を講ずべきであつたのに、これを怠り、その違法行為の結果本件院内感染(及びその結果としての家族の保菌)を発生させたものであるとして(請求原因8(二))、被告呉市に国家賠償責任があるというので、以下検討する。

本件のサ菌による院内(新生児室)感染の経路(初発例についてはしばらく措く。)については、前記三で述べたとおりであるが、前記四にも述べたとおり、他の一般の細菌においても通常よくあり得る(あるいは考え得る)経路であるばかりか、要するにいわば「便が他の口に入る」というもので比較的単純ということができ、それ故にこそ、発生の可能性は決して少なくないにも拘らず、我が国の産院においてはサ菌の新生児室における集団感染はこれを大方において防止し得て来たし、逆にいえば、被告医院において、新生児室の清潔保持につき他の通常の産院におけるがごとき努力を尽くしていたならば、本件院内感染は防止し得たであろうといえるのである。

そうすると、呉市長ないし呉市保健所に前記のような行政上の権限及び職責があるにしても、これらに本件院内感染(及びその結果としての家族の保菌)を惹起させたについての違法行為があつたとすることは到底できない。けだし、本件のように行政の不作為を違法行為として国家賠償責任をいう場合、当該被害者との関係で行政主体の作為義務及びその違反(違法行為)が認められるのでなければならないが、本件にあつては、右のとおり、医療機関としての通常の努力によつて結果(被害)を防止し得たという事情にある(しかも、前記四3(三)のとおり、本件証拠上、病院特に産院新生児室において院内感染防止のために最も基本的な注意事項とされている看護婦等介護者の手指の消毒の点で不充分なところがあつたのではないかという疑問が強いのである。)から、本件被害者(原告ら)との関係では、医療機関たる被告医院が全面的に賠償責任を負うべきで、行政主体たる呉市長ないし呉市保健所について作為義務及びその違反をいう余地はない(呉市長ないし呉市保健所が立入検査等を充分にするなど行政上の一般的な責務を尽くしていたならば本件結果を防ぎ得たであろうという関係があつたにもしても。)というべきである。

初発例との関係では、前認定のとおり産道感染であつて、右議論は直ちにはあてはまらないが、<証拠>によれば、サ菌を除菌するための有効な方法は最近に至るも発見されていないことが認められ、右事実に<証拠>を総合すると、最近に至るも最高の学問水準をもつてしても当該産道感染自体を防止するための有効な方法は発見されていないことが認められるから、そもそもその防止義務を考えることができないというべきである(右に掲げた各証拠によれば、産道感染児の重症化を防止し、あるいは他への集団感染を防止するためにある程度有効な方策はある<例えば、妊婦の検便をし、サ菌が発見された場合には、その出生児を他から隔離し、抗生物質を投与するなど。>と認められるが、本件原告らの中で初発産道感染例の可能性のある原告21については、<証拠>によれば少なくとも重症ではなかつたことが認められるから、本件において右の意味での重症化の防止ということも考えるまでもない。)。

なお、右のとおり妊婦の検便は新生児室におけるサ菌の集団感染防止のためにはある程度有効な方策といえる(但し、前記のとおりサ菌を保菌していても検便で検出されないことも往々にしてあり得るから、完全な方策とはいえない。)から、被告医院において妊婦の検便を実施していたならば本件集団感染は防止し得たかもしれない(これまでに述べたところからして防止し得たとは認定できない。)ともいい得るところ、そうとすると、被告医院に妊婦の検便を実施させるようにする行政主体の作為義務(集団感染との関係で。)が一応考えられるが、本件では、そもそも右のとおり防止し得たとは認定できないところであるし、前記のとおり初発産道感染児が新生児室に在室していても他の新生児への感染は被告医院の医療機関としての通常の努力によつて防止し得るのであるから、本件被害者との関係で右作為義務及びその違反をいうことができないのは明らかである。

2次に、原告の請求原因8(三)の主張について判断するに、確かに、行政主体が、本件院内感染を了知した後においては、それだけその作為義務は措定され易くなるとはいうものの、第四グループについては、前記四2で述べたとおりの結果(いわゆる病気ではない。)であるから、行政主体の作為義務を到底考えることができず(行政の作為義務の措定にあたつては被害の大小は特に重要である。)、原告55についても、基本的に右1項の判断があてはまるというべきところ、いまこれを左右するだけの事情を認めるに足りる資料はない。

3本件全証拠を検討してみても、他に、本件結果を生ぜしめたについて因果関係のある被告呉市(具体的には担当職員)の国家賠償法上の違法行為があつたことを認めるに足りる証拠はない。

七  被告国の責任について

1主位的請求について

請求原因9(一)の事実(厚生省<厚生大臣>の一般的な権限及び職員)は原告及び被告国間で争いがないところ、原告は、要するに、右のような権限及び職責を有する厚生省としては、サ感染症の発生を防止するために、科学的知識を普及するとか、医療機関等に予防方法を指導するなど必要かつ適切な措置を講ずべきであつたのに、これを怠り、右違法行為の結果本件院内感染(及びその結果としての第四グループの保菌)を発生させたものである(従つて被告国に国家賠償責任がある。請求原因9(二))というのである。

しかし、前記六1で被告呉市に関して述べたことはそのまま被告国(具体的には厚生大臣等関係公務員)の作為義務及びその違反に関してあてはまるのであり、ここでも、本件被害者(原告ら)との関係で行政主体としての被告国(具体的には関係公務員)に原告主張のような作為義務及びその違反(違法行為)をいうことはできない(なお、原告は、特に被告国に関しては、サ感染症については当時一般の医療従事者がよく認識していなかつたという点を強調しているが、本件の感染経路は前記のとおり他の細菌にあつても通常よく見られるところであり、通常の感染防止対策をとつていれば防止し得るのであつて、右の点も本件で特別の意味を持つものでないこと既に述べたところから明らかである。原告も、被告武田に対する関係では、特に「サ菌」感染の防止義務をいうのではなく、一般的に「細菌」感染を防止すべき義務を主張していること明らかである。)。

本件全証拠を検討してみても、他に、本件結果を生ぜしめたについて因果関係のある被告国(具体的には担当公務員)の国家賠償法上の違法行為があつたことを認めるに足りる証拠はない。

2予備的請求(請求原因9(三))について

前記六のとおり被告呉市が国家賠償責任を負わないのであるから、その余について判断するまでもなく、被告国が国家賠償法三条一項の責任を負う理はない。

八  被告武田の賠償すべき損害

1亡大岡由倫、亡桑原成行及び亡稲吉塁について

(一)  右三名がいずれも、被告武田の注意義務違反(過失)に基づいてサ感染症に罹患し、かつこれに基因して死亡した(結局、被告武田の過失と死亡との間に相当因果関係がある)ことはこれまでに述べたところから明らかであるから、同被告はこれらの死亡による損害を賠償すべき義務がある。

ところで、原告はその損害について特に項目を分けることなく「各五〇〇〇万円と評価するのが相当」と主張している。人の生命、身体の侵害事故の場合に通常いわれる財産的損害と非財産的損害を総体として包括的に評価して五〇〇〇万円というものの如くであり、人の生命、身体の侵害事故にあつては、当該の「死亡」ないし「傷害」自体を損害と捉えて、いわゆる逸失利益とか精神的苦痛の慰謝料とかは右損害の額を算定するための一資料に過ぎないとすることもできるから、当裁判所としても、原告のような主張方法でも損害の主張として不都合はないと解する。

そこで、本件の損害である前記「死亡」の損害額を如何に評価するかであるが、やはり、死亡事故の場合に通常用いられている逸失利益及び慰謝料を資料とすることにする(なお、葬儀費用等の積極的財産損害も一般には資料とし得るが、本件では、特にその点の具体的な主張立証をしていないので、これは独立の資料として考えることなく、慰謝料算定にあたつて加味するにとどめる。)。

(二)  まず、逸失利益について。

三名はいずれも、前記のとおり出生直後の昭和五〇年一月末ないし同年二月初めに死亡したもので、<証拠>によれば男児であつたことが認められるから、本件によつて死亡しなければ、本件不法行為(死亡事故)後一八年後の昭和六八年(高校卒業の年)から六七才までの四九年間稼働し、その間毎年男子労働者の平均的収入を得たであろうと推認するのが相当というべく、その各逸失利益については、右の男子労働者の平均的収入を昭和五五年度賃金センサスの産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計の一八才ないし一九才の平均給与額(一五〇万〇七〇〇円)とみて、これから五割相当の生活費を控除し、ホフマン方式により年五分の中間利息を控除して、その本件不法行為時の現価を算出すると、次のとおり各一二三二万円となる。

1,500,700×(1−0.5)×(29.0224−12.6032)≒1232万円(1万円未満切捨)

次に慰謝料については、証拠によつて認められる遺された両親等家族に与えた打撃をも含めて本件に顕われた諸般の事情(被告武田の過失の態様及び程度を含む。)を考慮すると、基本的には各七〇〇万円をもつて相当と思料するが、前記のとおり結局右逸失利益と併せた額を「死亡」という損害の額とみるのであるから、右逸失利益の算出はある意味でかなり控え目でありかつ計算自体概算であることをも併せると、慰謝料額を各七六八万円として結局本件損害を各二〇〇〇万円とみるのが相当である。

2原告丸岡良知及び同坂本マサミについて

(一)  両原告がいずれも被告武田の注意義務違反(過失)に基づいてサ感染症に罹患し、かつこれに基因して間もなく、原告丸岡良知は脳性小児麻痺、精神薄弱及びてんかんに、同坂本マサミは脳性小児麻痺に罹患した(結局、これらと被告武田の過失との間に相当因果関係がある)ことはこれまでに述べたところから明らかであるから、同被告はこれら脳性小児麻痺等の疾患による損害を賠償すべき義務がある。

ところで、原告は、ここでもやはり、逸失利益等の項目はいわず、重度心身障害児としての症状等を述べ、「これらの損害を金銭に見積もれば各五〇〇〇万円が相当である。」と主張している。この点については基本的に右1(一)と同様に考え、逸失利益及び慰謝料を資料として「傷害」という損害の額を評価することとする(介護費用等の積極的財産損害は、具体的な主張立証もないので、独立の資料とすることなく、慰謝料算定にあたつて加味するにとどめる。)。

(二)  <証拠>によれば、原告丸岡良知は、前記脳性小児麻痺等の疾患のため、言葉も言えず、目も見えず、体を移動することもできないで全介助が必要という状態であつて、これらの回復の見込みは全くないことが認められ、<証拠>を総合すれば、原告坂本マサミは、前記脳性小児麻痺のため、右丸岡程ではないものの、言葉を言えず、反応も鈍く、運動機能も未だ一才程度で、重度心身障害児となつており回復の見込みはないことが認められ<る。>

そうすると、逸失利益については、生活費控除がない点の外前1項の死亡の場合と同様にして算出すべきであるから、その現価は各二四六四万円(一万円未満切捨)となり、慰謝料については、右認定事実に、右の各証拠によつて認められる両親に与えている苦痛及びその他本件に顕われた諸般の事情をも併せると、基本的には各五〇〇万円をもつて相当と思料するが、ここでも前1項の場合と同様に、慰謝料額を各五三六万円として結局本件損害を各三〇〇〇万円とみるのが相当である(なお、<証拠>によれば原告坂本マサミは女児と認められるので、同女については右逸失利益が少なくなるのではないかとの問題がある<前記の方法によつて女児の場合の逸失利益の現価を求めると、前提給与額が一三一万一三〇〇円であるため、二一五二万円となる。>。しかし、そもそも前記逸失利益の算出方法自体ある意味でかなり控え目なものであるし、特に本件のような同一事故でかつ被害者が新生児である場合に、その逸失利益等につき男女で格差を設けることは不合理な面があるから、少なくとも、総合としての損害額については右のとおり男児と同じく三〇〇〇万円とするのが相当である。)。

3亡永井千差子について

同児が、先天的な左横隔膜裂孔があつたところ、そのヘルニア嵌頓が生じて昭和五〇年三月二九日死亡したことは前記一4(三)のとおりであるが、右死亡と本件サ感染症(ひいて被告武田の過失)との間に因果関係があるかにつき検討を加える。

前記のとおり、永井のように先天的な横隔膜裂孔がある場合、一般的にそのヘルニア嵌頓(そして肺圧迫、死亡)の危険は常にあるといえるが、鑑定の結果によれば、その予後を決定するのは、裂孔管の開存巾、逸脱臓器の圧迫による肺の低形成の程度、反対側肺の機能の三要因であることが認められるところ、<証拠>を総合すれば、永井は、出生後死亡当日の朝までは、下痢症等はあつたが、呼吸障害、チアノーゼ等の症状は特になく、死亡当日の朝になつて急に嘔吐、呼吸困難、チアノーゼ等の症状がみられたことが認められ、右事実に鑑定の結果を併せると、永井の場合、前記三要因は経過中さ程重度に属するものとは考え難く、死亡日に先立つ二、三日以内に急速にヘルニア臓器がその量を増したものと認められ<る。>

右事実に、荒光証言及び鑑定の結果により認め得る次の事実、即ち、一般的にみて、サ菌の腸管感染の経過中にはこれが腸の蠕動を高めることがあり、ひいて右のように急速にヘルニア臓器の量を増加させる原因ともなることを総合すると、永井の本件ヘルニア嵌頓についても、サ感染症が引き金となつた可能性は否定できないというべく、他に特段の事情の立証のない本件にあつては、永井の本件当該時期におけるヘルニア嵌頓(そして死亡)とサ感染症との間には少なくとも条件的な因果関係はある(即ち、本件サ感染症がなければ、このような早い時期にヘルニア嵌頓が生ずることはなかつた。)ものと推認するのが相当である。

そして、以上のような諸事情を総合的に考慮すると、永井の本件死亡による損害の内三割相当が被告武田の過失(及びこれによるサ感染症)に基因する(相当因果関係がある)ものとみるのが相当である。

そうすると、前記1(二)の損害額(二〇〇〇万円)を斟酌し、前掲甲第一〇四号証の五によつて認められる両親に与えた苦痛をも含めて本件に顕われた諸般の事情を考慮して、被告武田の賠償すべき損害額は六〇〇万円をもつて相当とするというべきである。

4右1ないし3の六名を除くその余の本件新生児(第三グループ、但し原告21を除く。)について

(一)  第三グループ(但し、原告21を除く。以下同様)がいずれも被告武田の注意義務違反(過失)に基づいてサ感染症を発症したことはこれまでに述べたところから明らかであるから、同被告は右発症による損害を賠償すべき義務がある。

なお、<証拠>を総合すれば、第三グループにみられた症状はいずれも急性胃腸炎様の症状(例えば、下痢、発熱、嘔吐、脱水症状、体重減少等)であつたことが認められる。

ところで、原告は、右損害について、請求原因5(一)のとおり、身体上、生活上及び社会生活上の各被害を挙げ、これらの被害を「総体として包括的に評価」すべく、その損害は「各四〇〇万円が相当」であるという。この点については、基本的には前記1(一)に述べたのと同様に考えるが、ここでは、後に認定するとおり後遺症は全くないから逸失利益は問題となり得ず、積極的財産損害の額も特にこれを具体的に主張立証している訳でもないので、結局、いわゆる精神的及び肉体的苦痛の慰謝料を評価することとかわりがない。その観点から以下検討する。

また、原告は、第三グループについて個々の差異は捨象して全員一律の損害の賠償を求めているが、本件のような訴訟にあつては、ある程度一律の賠償を求めるのも、訴訟技術上やむを得ない面があるばかりか、ある意味で合理的な面もあるので、当裁判所としても、基本的にはこれに従うこととする。ただ、後に認定するとおり、症状の最も重い者と最も軽い者ではかなりの差があるので、損害額上その差異を無視してもあながち不当とはいえないという限度でグループ分けをすることにする。

(二)  <証拠>によれば、原告31、36、44はいずれも、少なくとも被告医院退院直後において、頻回の下痢の外発熱及び嘔吐があつて脱水症状及び著明な体重減少を生じ、国立呉病院にしばらく(半月ないし二か月程度)入院しての加療を受けたことが認められ、<証拠>によれば、原告47、51はいずれも、少なくとも被告医院退院直後において、少なくとも頻回の下痢の外発熱及び嘔吐があつて、呉共済病院に入院(一〇日程度)しての加療を受けたことが認められる。

その余の第三グループの者はいずれも、<証拠>によれば、被告医院退院後間もなくして(昭和五〇年三月中旬から同年四月初めにかけて)初めて国立呉病院で診察を受けたため、その際には特に臨床症状はなかつたことが認められるものの、<証拠>を総合すれば、少なくとも被告医院退院直後において、少なくとも下痢、発熱、嘔吐等いずれかの急性胃腸炎様症状を呈し、国立呉病院における前記初診時以降、前記のとおり臨床症状は特になかつたが、その再発症を防止し、また除菌するため、相当期間同病院に通院して抗生物質の投与等の加療を受けた(通院日数は、最も少ない者で一一日、最も多い者で五六日、平均して三〇日程度)ことが認められ<る。>

なお、以上の各証拠によれば、前記の入院加療を受けた五名も、その余の者と同様の通院加療を受けたことが認められるし、第三グループはいずれもサ感染症による後遺症は全くないことが認められる。

以上の諸事実に、右の各証拠によつて認められる第三グループの両親(特に母親)に与えた精神的負担(介護にあたつて心配、苦労があつたし、家庭内においても消毒等に神経質にならざるを得なかつた。)をも含め本件に顕われた諸般の事情を総合して考慮すると、第三グループの新生児に生じた精神的及び肉体的苦痛を慰謝するに足りる額(即ち、本件「傷害」の損害額)としては、原告31、36、44について各五〇万円、原告47、51について各三〇万円、その余について各二〇万円をもつてそれぞれ相当とする(右の区分については、主として加療内容を基準とした。)。

5相続

《別表》

新生児

(番号は原告番号)

母親

(姓は同上、

番号は原告番号)

母親の入院日

(昭和50年・月・日)

出生日

(昭和50年・月・日)

退院日

(昭和50年・月・日)

亡大岡由倫

敏子(2)

1.16

1.17

1.23

亡桑原成行

悦子(4)

1.27

1.27

1.30

亡稲吉塁

和音(6)

1.22

1.24

1.30

亡永井千差子

佳枝(8)

1.25

1.25

1.30

坂本マサミ(11)

美百合(13)

1.3

1.4

1.10

丸岡良知(14)

万里子(15)

1.21

1.21

1.27

石田賢一(16)

愛子(18)

昭和49年12.28

昭和49年12.28

1.4

白岩一徳(21)

陽子(22)

1.1

1.1

1.7

吉沢正美(23)

ユリ子

1.3

1.4

1.10

岡下聖文(25)

八重子

1.6

1.7

1.13

西浦覚(26)

鈴江

1.6

1.7

1.13

楠見力(27)

幸子

1.7

1.7

1.13

広瀬美哉(28)

和示(29)

1.7

1.8

1.14

村上由美(30)

みどり

1.9

1.9

1.15

沖本美由紀(31)

百合江(32)

1.9

1.10

1.16

實成直美(33)

朋子(35)

1.10

1.10

1.17

岡安敬一(36)

千寿子(38)

1.13

1.14

1.20

古屋健治(39)

ミヨ子(41)

1.17

1.18

1.24

胡美香(42)

初美(43)

1.22

1.22

2.6

木曽昭彦(44)

孝子(45)

1.21

1.22

1.28

矢部知史(47)

文子(49)

1.24

1.24

1.30

中下亜紀子(51)

紀子

1.23

1.24

1.30

山口晁弘(53)

栄子(54)

1.25

1.25

2.1

曽我部千鶴(55)

喜代子

2.9

2.9

2.15

菅原真剛(56)

ひさな(58)

1.22

1.22

2.1

原告1及び2が亡大岡の、原告3及び4が亡桑原の、原告5及び6が亡稲吉の、原告7及び8が亡永井のそれぞれ父母であることは前記一のとおりであり、右亡四名については右原告らの外には相続人がいないこと明らかであるから、原告1ないし6はいずれも、前記1(二)の損害賠償債権(各二〇〇〇万円)を法定相続分に従つてその二分の一である一〇〇〇万円ずつ相続し、原告7、8はいずれも前記3の損害賠償債権(六〇〇万円)を同様にして三〇〇万円ずつ相続したというべきである。

6弁護士費用

原告1ないし8及び原告11、14並びに第三グループ原告らがいずれも本訴の提起追行を原告ら訴訟代理人弁護士らに委任したことは弁論の全趣旨によつて明らかであるが、本件の事件の難易、請求認容額その他諸般の事情を考慮すれば、被告武田の本件不法行為と相当因果関係ある弁護士費用損害金としては、前記1ないし5による各原告の損害賠償債権額の各一割をもつて相当とする。

九  結論

以上によれば、原告らの本訴各請求の内、被告武田に対して、原告1ないし6が各一一〇〇万円、原告7及び8が各三三〇万円、原告11及び14が各三三〇〇万円、原告31、36及び44が各五五万円、原告47及び51が各三三万円、原告16、23、25、26、27、28、30、33、39、42、53、55及び56が各二二万円とこれらに対する本件不法行為の後である昭和五一年三月一四日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による各遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるから、これらを認容し、右原告らの被告武田に対するその余の各請求及びその余の原告らの被告武田に対する各請求並びに原告らの被告呉市及び同国に対する各請求はいずれも理由がないから、これらを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行の宣言(各認容額の二分の一の限度で認めるのを相当とする。)につき同法一九六条一項を各適用して(なお、仮執行免脱宣言はこれを付すのが相当でない。)、主文のとおり判決する。

(大西リヨ子 内藤紘二 貝阿彌誠)

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